舞台は、1950年代初めのフロリダの刑務所です。足を鎖で繋がれ、道路工事等を行う、いわゆるチェイン・ギャングたちの話です。新入りのルークは、囚人たちのボスとの喧嘩やポーカーにおける大胆不敵さとユーモアのセンスで皆の尊敬を集めます。母親が危篤との知らせに、ルークは脱獄を試みます。捕まっても、捕まってもルークはあきらめません。酷い懲罰を加えられたルークは、看守に媚びへつらうようになり、仲間たちの信頼を失います。しかし、それは作戦でした。隙を見せた看守の目を盗み、ルークは、また脱獄します。ルークは、教会で祈りを捧げているところを看守たちに包囲され、撃たれます。映画は、ルークの死をはっきりさせないまま終わります。
ルークは、キリストの象徴です。ジョージ・ケネディ演じる囚人のボスは、ルークの”使途”そのものです。恐らくルークは死んだのでしょうが、それを単なる死と捉えることはできません。少なくとも、仲間のチェイン・ギャングたちの心の中で、ルークは生き続けていたのですから。この映画を見た時、私は中学生でしたが、自由であることへのこだわり、体制に媚びない不屈の闘志、仲間たちの連帯等、生きる上での大きな教訓を得た映画だと思っています。今でも、多くのシーンを記憶しています。50個のゆで卵を食べる賭け、穴を掘っては埋めさせる懲罰のシーン等も印象的でしたが、実は、最も印象的で、いつまでも忘れられないのは、ルークの不屈さを伝える笑顔であり、それはポール・ニューマンにしかできない笑顔でした。
この映画は、映画史に残る名言も生んでいます。脱獄し捕まったルークを打ち据えた所長が言います。「What we've got here is failure to communicate.・・・」直訳すれば、意疎通が欠けていたようだ、ということになりますが、誤解があるようだ、あるいは話の通じない奴がいるようだ、といった感じでしょうか。一定年齢以上のアメリカ人なら、皆、知っているセリフです。AFI(American Film Institute)が選出した「アメリカ映画の名セリフ・ベスト100」でも11位にランクされています。1950年代に豊かさを謳歌したアメリカは、60年代に入ると、様々な社会的矛盾に直面します。ヴェトナム戦争、人種問題、世代間闘争、家庭の崩壊等々。その全ての根底に”failure to communicate”があったわけです。まさに時代を象徴する言葉だったわけです。
ポール・ニューマンは、マーロン・ブランドやジェームス・ディーンと共に、アクターズ・スタジオに学んでいます。しかし、世に出るのはかなり遅れました。1956年の「傷だらけの栄光」が出世作となりましたが、ジェームス・ディーンの急死を受けて回ってきた役でした。その後、熱いトタン屋根の猫、ハスラー、ハッド、動く標的、暴力脱獄などのヒット作に出演します。最もヒットした作品と言えば、「明日に向かって撃て」(1969)、「スティング」(1973)ということになるのでしょう。ポール・ニューマンは、自動車好きでも知られ、ル・マン24時間レースで2位になったこともあります。また、自ら食品会社「ニューマンズ・オウン」を設立し、成功させています。彼の似顔絵が描かれたドレッシングやパスタ・ソースは、アメリカの定番商品でもあります。ポール・ニューマンは、その事業で得た利益の全てを、恵まれない子供たちの教育ファンドに寄附したことでも知られます。(写真出典:amazon.co.jp)