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ラストヴォロフ |
番組を見ながら、幻兵団を思い出しました。終戦直後、ソヴィエトは、57万人に及ぶ日本兵等をシベリアに連行し、強制労働をさせます。違法極まりないシベリア抑留です。ソヴィエトは、抑留者に赤化教育を行い、共産主義シンパ作り、そして相互監視体制づくりをねらいます。さらに、その中から、日本へ帰国後に、スパイとして活動する要員をピックアップします。それが、いわゆる”幻兵団”です。7万人ともいわれるその実態は、ほとんど分かっていません。ほぼ活動実態が無かったとも、誰もが口を閉ざしたからとも言われます。抑留キャンプで何が起きていたかを語るには、あまりにも微妙な状況が存在したのでしょう。厳しい環境のなかで、食事、待遇、さらには命まで取引材料とされれば、彼らを責めるわけにはいかない面もあると思います。
日本政府は、早い段階で、幻軍団の存在を察知していたようです。米軍と協力して、引揚船到着時に水際作戦を展開します。しかし、ほとんど成果をあげることはできなかったようです。ところが、意外な事件が発生し、実態の一部が浮かび上がります。1954年に起こったラストヴォロフ事件です。当時、ソ連大使館は、公式には認められておらず、元代表部として存在していました。その二等書記官だったユーリー・ラストヴォロフが、突然、失踪します。ラストヴォロフは、実は内務人民委員部(NKVD)が送り込んだスパイでした。任務は、駐留米軍への浸透でしたが、もともとシベリアで抑留者をスパイ化する仕事をしており、日本人スパイも動かしていたようです。本国で、スターリンが死に、ベリヤが失脚すると、身の危険を感じたラストヴォロフは、知り合いの米国人英語教師を介して、CIAに投降します。英語教師の実態は、CIAのスパイでした。
ラストヴォロフは、アメリカで記者会見を行い、日本におけるソ連のスパイは500名、潜在的スパイは8,000人いるとしました。自身は、36人のスパイを動かしていたと証言したとも言われます。直後、元関東軍参謀の志位正二少佐(日本共産党志位委員長の父)が自首します。志位は、GHQの諜報機関に逮捕され、二重スパイを強要されていましたが、ラストヴォロフの亡命を機に自首します。さらに、外務省の事務官3名が逮捕されます。その一人、日暮信則は、取り調べ中、東京地検の4階から飛び降り自殺しています。日暮は、幻兵団の多くを知る男だったとも言われ、以降、ラストヴォロフ事件に関連する逮捕者は出ていません。実際には、東京地検が把握していた容疑者は相当数に上っていたのではないかと想像できます。ただ、活動実態の濃淡、報酬受取の有無、あるいは政府の責任問題等もからみ、幕引きとなったということなのでしょう。
ラストヴォロフのCIAでの証言のなかに、志位正二少佐と同じく関東軍参謀であった瀬島龍三中佐の名前も、スパイとして上がっていたようです。シベリアに11年間抑留された瀬島龍三は、その後、伊藤忠会長、中曽根康弘の顧問等に登り詰め、昭和を代表する財界人になりました。山崎豊子の「不毛地帯」のモデルとも言われました。関東軍参謀として停戦交渉に臨んだ瀬島は、天皇を守るために、50万将兵をソ連に売った、という密約説があり、広く流布されていました。現在では、この密約説は、否定されているようですが、1979年、東京でアメリカに亡命したKGB中佐スタニスラフ・レフチェンコの証言のなかで、コードネーム「クラスノフ」として名前があがるなど、どうも胡散臭さがつきまとう人でした。実態が無いから幻なのか、実態が見えないから幻なのか、いずれにしても幻兵団は興味深い戦後史だと思います。(写真出典:imagelink.kyodonews.jp)