2022年9月29日木曜日

年齢差別

NYで保険営業を行っていたおり、提携するアメリカの保険会社が、営業チームとアドミニストレーション・チームをアサインしてくれました。アドミ二・チームには、一人、70歳を超えたジョーというじいさんが含まれていました。ジョーは、一番の下っ端でしたが、経験があり、昔のことなら何でも知っていました。口数少なく、控えめな性格でしたが、誠実で信頼感抜群でした。親の遺産を相続したらしく、郊外の高級マンションに一人で暮らし、仕事には、大事に乗っているジャグァXJで颯爽と登場します。仕事をする必要など、まったくなかったのですが、この仕事が好きだから続けている、と言っていました。ジョーは、定年のない国を象徴しているかのようでした。

1987年、アメリカに赴任して、性差別と年齢差別に関する規制の厳しさに驚きました。性差別に関しては、日本でも、1972年の勤労婦人福祉法、1985年の男女雇用機会均等法が制定されていました。ただ、あくまでも努力義務に過ぎませんでした。1999年には、均等法が大幅に改正され、本格的に雇用に関する女性差別が規制されることになります。セクシャル・ハラスメントという言葉も一般化していきました。ところが、年齢差別に関しては、2007年に至り、ようよう雇用対策法が改正され、求人票に年齢制限を記載することだけが禁止されました。日本企業には、定年制はじめ、様々な年齢差別が存続し、実態として採用時の年齢制限も容認されてきました。

アメリカの年齢差別への対応は、1967年に制定された年齢差別禁止法 (ADEA)に始まります。採用における40歳以上への年齢差別が厳しく規制され、例外はあるものの、定年制も違法とされます。当時、中高年層の失業率が高止まりしていたことから、その対策としてADEAが制定されたようです。EUでは、2000年、年金財政問題等を背景に、一般雇用均等指令等が出され、各国が順次法制化しています。ただし、EU各国では、合理的な理由に基づく年齢制限などには寛容であり、産業界を圧迫しないような工夫もされています。アメリカでも、定年制は禁止ですが、公的年金の受給開始年齢に合わせるなどの対応は認められています。

誰が考えたのか、日本は、上手に年齢差別問題をスルーしてきたと言えます。日本の高度成長を支えた三種の神器と言われるのは、終身雇用、年功序列、企業内組合です。政財官界が一体となり、阿吽の呼吸で、日本株式会社のメイン・エンジンを守ってきたということなのでしょう。では、年齢差別規制を受けた欧米企業は、ダメージを被ったのでしょうか?そうではありません。なぜなら、欧米企業の多くは、終身雇用でも、年功序列でもなかったからです。雇用における年齢要素が少なかったからこそ、中途採用やジョブ型採用、選択定年制の併用など、年齢差別規制との調和が図りやすかったのでしょう。一方、年齢差別を温存した日本はどうなったのでしょうか。この30年間、物価が上がらず、賃金も上がらず、若者が将来に希望を持てない国になりました。

少子高齢化、グローバル化、低成長経済化、デジタル化といった現状からして、日本の伝統的雇用態勢の見直しは必至です。単に、女性の役職登用、定年延長といった対処療法的な対応に留まらず、終身雇用、年功序列といった慣行を捨てるべき時だと思います。一時的に混乱は生じるでしょうが、ここで変わらなければ、30年に渡る異常事態は、40年に及び、ガラパゴス化が進み、ついには日本全体が沈没していくことになりかねません。それは、日本の社会構造に関わる課題だった年齢差別問題を、上手にスルーしてきたことのつけだとも言えます。これは、まさに政治の問題です。対処療法に終始し、何も変えることができなかった政治家の責任は大きいと思います。加えて、それに警鐘を鳴らすこともなかったマスコミの責任、変化を恐れた経済界の責任も否定できません。(写真:米国労務省「高齢者雇用週間」出典:dol.gov)

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