2022年9月28日水曜日

BS&T

1969年は、世界的に、ジャズ・ファンが増えた年だと聞いたことがあります。私も、その年からジャズにのめり込みました。ジャズ喫茶に通い、マイルス・デイヴィスのレコードを買い、日野皓正のコンサートにでかけました。それまでは、ハード・ロック、ブルース・ロックばかり聴いていました。ジャズ一辺倒になった明確なきっかけがあったわけではなく、ごく自然に聞く音楽が変わっていったように思います。恐らく、ロックにも、ジャズにも、大きな変革のうねりが到来し、その波に乗っていったということなのでしょう。強いて、きっかけとなったものを探すとすれば、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ(BS&T)の登場ということになりそうです。

BS&Tは、1967年に、NYで結成されています。白人ブルース・ロック・バンドのはしりであったブルース・プロジェクトを脱退したアル・クーパーは、様々な音楽を融合させるという自らのアイデアを実現しようとBS&Tを結成します。トランペットには、ランディ・ブレッカーも参加していました。1st.アルバム発表後、アル・クーパーは脱退しますが、BS&Tは、強力なブラス・セクションとドラムを中心に、ロックとジャズが一体となった独自のサウンドを展開していきます。ブラス・ロックの誕生です。1969年に発表した2nd.アルバム「ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ」は、世界中で大ヒットし、グラミーの最優秀アルバムも獲得します。BS&Tは、ハードロック時代の異端児のように思えますが、実は時代の変化を象徴していたのだと思います。

1968年、ハードロックの立役者だったジミ・ヘンドリックスは「エレクトリック・レディ・ランド」をリリースし、行くところまで行った印象でした。エリック・クラプトンも、クリームを解散しています。そして、1969年8月、50万人とも言われる若者が殺到した「ウッドストック・フェスティバル」が開催されます。60年代の反戦運動、学生運動、ヒッピーといったカウンター・カルチャー最大のイベントとなりました。しかし、ウッドストックは、一つの時代の終わりを告げるイベントでもありました。3日間のコンサートの最後のステージに立ったのはジミヘンでした。大混乱のなか、フェスティバルに間に合わなかったジミヘンは、まばらになった観客を前に、極端にデフォルメしたアメリカ国歌を演奏します。実に象徴的だったと思います。

一方、ジャズ界も大きく揺れていました。1969年、マイルス・デイヴィスは「イン・ア・サイレント・ウェイ」をリリース、いわゆるエレクトリック・ジャズを本格的に開始しています。それは、単なる電子楽器の導入や8ビート、16ビート化ではなく、クロスオーバーというジャズの新しい展開の始まりでした。翌年、マイルスは「ビッチェズ・ブリュー」で、その世界を完成させ、フュージョンの時代を切り開きます。「イン・ア・サイレント・ウェイ」に参加したウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、チック・コリア、ジョー・ザヴィヌル、ジョン・マクラフリン 等が、新しいジャズを展開していきます。ジャズとロックの垣根は低くなり、同じステージに立つ機会も増えていきました。マイルスは、ジミヘンを高く評価し、セッションも行っています。

ジミヘンは楽譜が読めませんでした。マイルスが、ピアノで音を短く示すと、ジミヘンは、たちどころに全体を理解して、セッションが始まったという話が伝わります。BS&Tも、同じように、我々に音を示しただけなのかもしれないと思います。我々には、ブルース・ロックを通じて、ジャズの起源でもあるブルースの下地が、既に作られていました。あとは、BS&Tが、ブラスやドラムの持つパワーを示してくれるだけで良かったのでしょう。1969年は、潮目が変わった年であり、BS&Tが肩を押すことで、世界中に新たなジャズ・ファンが生まれた年だったというわけです。(写真出典:amazon.co.jp)

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