かつて絶対王政が繁栄した国には、巨大な宮殿が存在します。中央集権化された絶対王政ですが、その性格は連合的であり、必ずしも絶対だったわけではありません。従って、盟主である王は、様々な形でその威勢を示し続ける必要がありました。巨大な王宮は、絶対王政の脆弱さを象徴しているとも言えます。マドリー王宮内をツアーしていると、ほどなくして飽きてきました。確かに巨大で、意匠も素晴らしいのですが、どうもピンと来ないのです。美しく仕上げられていますが、決して感性に訴えるような美しさはないように思えました。建築目的が、美の追究ではなく、あくまでも権勢誇示だったわけですから、当然かも知れません。
加えて、欧州とアジアとの感性の違いもあるかもしれないと思いました。というのも、マドリー観光の後、寝台列車に乗ってアンダルシアへ行き、アルハンブラ宮殿を見たからです。グラナダの南東の丘に建つアルハンブラ宮殿は、イスラム・スペイン文化のみならず、イスラム文化を代表する建築の一つだと思います。その美しさは、心に染み入るようでした。もともとは、後ウマイヤ朝が、9世紀に建設した砦だったようです。その後、時代、時代で増改築が行われ、現在にいたる宮殿の形は、13~15世紀のナスル朝によって築かれています。レコンキスタ、つまりキリスト教徒によるイベリア半島再征服は、8~15世紀という実に息の長い戦いでした。キリスト教徒たちが、レコンキスタの最後に戦ったイスラム勢力が、グラナダのナスル朝でした。
カスティーリャによるグラナダ攻略は、2年間におよぶ熾烈な包囲戦でした。興味深いことに、キリスト教徒たちは、その後も含めて、アルハンブラを一切破壊していません。そのあまりの美しさに、破壊することをためらったのだろうと考えます。アルハンブラとは、赤い城塞を意味するアラビア語の”アル・カルア・アル・ハムラー”がスペイン語化したものだと言われます。決して赤い建物ではないのに、アルハンブラと呼ばれている理由は不明であり、周囲が赤土だからという説が有力だそうです。豊富な水を使った噴水やプール、穏やかなパティオを数々、イスラム建築の特徴であるムカルナスと呼ばれる鍾乳石を模した天井、幾何学模様のタイルなどが印象に残ります。なお、ムカルナスは、ムハンマドが神の言葉を聞いた洞窟をイメージしています。
”ライオンの中庭”、”アラヤネスのパティオ”、”リンダラハのバルコニー”などは、40年経った今でも、目に浮かびます。造形的な美しさは、静けさ、潤い、繊細さを感じさせます。絶対に見るべき建築の一つだと言えます。アルハンブラと言えば、フランシスコ・タレガ作曲のギター独奏曲「アルハンブラの思い出」が思い出されます。トレモロ奏法の三大名曲の一つとされ、世界中で親しまれる哀愁漂う名曲です。ただ、個人的には、この曲を聞いても、一切、アルハンブラの情景は浮かびません。やはり、キリスト教徒の感性なのか、と思います。アルハンブラに最も似つかわしい音楽は、例えば、ペルシャのダストガ音階に基づく無拍のサントゥール演奏などだと確信します。ちなみに、サントゥールは、西洋に伝えられ、後にピアノへと変化します。(写真出典:factum-info.net)