![]() |
中臣鎌足 |
中国では、毛沢東など、姓一文字、名二文字が多く、中国文化の影響が濃い韓国やヴェトナムでも、パク・チョンヒやホー・チミンなど、この様式が一般的です。韓国やヴェトナムは、漢字を使わない国になりましたが、今でも、姓名は、漢字に基づいて命名されます。聞けば、各人、自分の名前の元になっている漢字くらいは知っているとのことです。しかも、中国、韓国、ヴェトナムでは、姓に使われる漢字は、ごく限られています。結果として、中国では、李、王、張、韓国ではキム(金)、リー(李)、パク(朴)、ヴェトナムではグエン(阮)、チャン(珍)、レー(黎)が、圧倒的多数を占めます。同じく中国文化の影響下にある日本だけは、随分と様子が違います。
日本人の姓は、二文字が多く、かつ実に多様です。佐藤、鈴木、高橋が、近年のベスト3と言われますが、合わせても人口の4%程度に過ぎません。この違いが生まれた理由が気になるところです。中国の姓は、血縁を表わします。使われる漢字は、3,000程度あり、うち100くらいがメジャーな姓となっているようです。過去に存在し、歴史のなかで消えていった姓も含めれば、10,000以上あったようです。中国の長い歴史、広い国土を考えても、血縁系統としては、それくらいあれば十分だったのでしょう。また、一字である理由は定かではありませんが、表意文字という特性を考えれば、二文字以上の必要性は乏しかったとも言えます。日本の姓も、血縁がベースであることに変わりありませんが、日本の場合、土地に由来する姓が多く、それが多様性につながったようです。
二文字の姓が多い理由は、日本の地名の大多数が二文字だからということになります。713年、元明天皇は、古事記の編纂に際して、地名は”よき字二文字”にせよ、との詔を出します。それまで一文字だった泉は和泉に、三文字だった下毛野は下野に変えられています。なるほど、といった話ですが、そもそも、血縁ベースであった姓が、土地の名を名乗るようになったのか、不思議なところです。古代日本にあって、輸入された最新文化である姓は、ごく限られた上流階級だけが持ち、他は名前だけだったようです。大雑把に言えば、この文化は、江戸期まで続いたわけです。ここが、中国、韓国、ヴェトナムとの違いなのでしょう。名前だけだった人が、官吏や武家として制度のなかに組み込まれると姓を持つことになります。また、明治の世になると、全員が姓を持つことなります。その際、土地にちなんだ姓が選ばれたことは理解しやすい話です。もともと、なんとか村のなんとかさんと呼ばれていたわけですから。
さて、日本最大の勢力を持つ佐藤姓は、中臣鎌足、後の藤原鎌足の子孫ということになります。藤原氏は、長く朝廷を牛耳った家であり、天皇家に次いで子孫が多いとされます。そもそも中臣は山科の地名であり、天智天皇から授かった藤原姓も大和国藤原という地名に由来します。佐藤とは、平安末期、藤原左衛門尉親盛が称したことから始まったとされます。”左”は、官名である左衛門尉、ないしは所領であった下野国佐野庄から来ているようです。他にも斎藤・伊藤・加藤・後藤等、”藤”が付く姓は藤原氏の子孫とされますが、 実態としては、後の世に、藤原氏にあやかって、勝手に名乗ったものが多いとも言われています。日本の姓が二文字で、かつ多様であることは、地名ベースだからということになりますが、そもそも姓を持たない人が大層を占めていたことが背景にあるわけです。(写真出典:r-ijin.com)