2022年8月21日日曜日

ルチャ・リブレ

ミル・マスカラス
ルチャ・リブレは、メキシコで独自の発展を遂げたプロレスです。ルチャは戦い、リブレは自由を意味します。単なるプロレスを超えて、メキシコを代表する大衆文化とまで言われます。プロレスは、スポーツか、エンターテイメントかという議論があります。かつて、WWFはさる裁判で、プロレスはショーであると断言したことがあります。個人的には、極限までエンターテイメント性を高めたスポーツだと思います。ただし、ルチャ・リブレに限っては、スポーツの姿をしたエンターテイメントだと断言できます。とは言え、極めて高い身体能力を遺憾なく発揮した華麗な空中技の数々は、十分に見応えがあります。

メキシコ・シティにあるルチャ・リブレの聖地”アレナ・メヒコ”では、今もしっかり勧善懲悪のストーリーが維持されているようです。マスクを付けて登場するのがヒーローで、ヒールはマスクなしです。ルチャドール(ルチャ・リブレの選手)にマスクは付きものですが、他に職業を持ちながらリングにあがる者が多く、マスクが定着したと言われます。アレナ・メヒコでは、老若男女で埋まった客席とリングが一体となって大盛上がりするようです。例えば、バンコックにあるムエタイの聖地”ルンビニ・スタジアム”の熱狂は有名ですが、客がヒートアップする最大の理由は賭けです。ルチャ・リブレは、筋書きのあるドラマなので賭けは成立しません。これも、家族で楽しむルチャ・リブレの特徴だと言えます。

メキシコのレスリングは、150年ほど前、フランスから伝来し、定着したようです。都市化が急速に進んだ1930年代、メキシコ・シティで、興業としてのルチャ・リブレが生まれています。経済格差の激しいメキシコにあって、最下層の庶民の楽しみとして人気を博します。社会の底辺にあって辛酸をなめるインディオたちは、ヒーローに我が身を託して、日頃の憂さを晴らしたわけです。戦後の力道山人気にも通じるものがあります。プロレスが成立する本質的な理由なのかもしれません。当時のメキシコは、メキシコ革命によって、富裕層に基盤を持つ独裁者ディアスが倒され、民主政権への移行が行われた直後でした。ただ、政治的、経済的混乱が続いた時期でもありました。

1910~1917年に渡って戦われたメキシコ革命は、複雑な経緯をたどりますが、庶民のなかから、エミリアーノ・サパタ、パンチョ・ビリャ等、多くのヒーローが生まれています。特に、メキシコ・シティを無血占領したサパタは、今でもメキシコの国民的英雄です。ただ、サパタは、1919年、対立勢力の謀略によって暗殺されています。革命後も、安定しない世情にあって、インディオたちは、サパタの再来を待ち望んでいたはずです。それが、ルチャ・リブレの誕生と隆盛の背景だったのでしょう。逆に言えば、現在に至るまで衰えることのないルチャ・リブレの人気は、インディオたちの置かれた状況が、さほど変わっていないということの証なのかも知れません。

日本におけるルチャ・リブレの知名度を一気に上げたのは、1971年のミル・マスカラスの来日でした。ミル・マスカラスは、アレナ・メヒコで修行した後、米国のプロレス界へ参戦、国際的に活躍した本格派ルチャドールです。”千の顔を持つ男”ミル・マスカラスは、毎回異なるマスクを着用し、入場曲”スカイ・ハイ”が流れると、場内は大歓声に包まれたものです。空中殺法やスピード感はルチャ・リブレそのものでしたが、パワー・プレイにも対応できる本格派でもありました。多くのタイトルを獲得したミル・マスカラスですが、 以降、 世界に名を轟かせるルチャドールはあまり出ていません。それは、 ルチャ・リブレのガラパゴス化を物語っているとも言えます。 (写真出典:bwwe.fandom.com)

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