監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ 2010年カナダ・フランス
☆☆☆+
「灼熱の魂」は、レバノン内戦時、厳しい運命にさらされた家族を描いています。ドゥニ・ヴィルヌーヴが、世界にその名を知らしめた作品と言えます。原作はレバノン人による戯曲ですが、脚本はヴィルヌーヴが書いています。今回は、デジタル・リマスター版での再上映です。ここのところ、ボーダーライン、メッセージ、ブレードランナー2049、デューンと立て続けにヒットを飛ばすヴィルヌーヴゆえ、旧作でも商売になるのでしょう。本作を見ると、あらためてヴィルヌーヴの持つ映画文法の佇まいの良さ、あるいは映像や音楽のセンスの良さを認識させられます。ちなみに、本作の音楽には、レディオ・ヘッドが効果的に使われています。いわば外部要因によって、発生、加速されたレバノン内戦ですが、そのなかで翻弄される民衆の姿を、一つの家族の過酷な運命に反映させています。やや図式的な因果話である点では、近松門左衛門かギリシャ悲劇を思わせるところがあります。図式的なプロットをドラマ化するには、それなりの演出力が求められます。本作では、演出、演技も見事ですが、ミステリ仕立てにしたことも、良い効果を生んでいると思います。加えて、ドキュメンタリー・タッチにすることで、レバノン南部の乾いた空気感がよく伝わります。これも、図式臭さを消す絶妙なアイデアだったと思います。ただ、それらの努力は、ややもすると冗漫な印象を与える傾向があることも否定できません。個人的には、そのテンポも含めて、好ましいと思いましたが、評判は分かれるところだと思います。
レバノンは、古代から、フェニキア人が拠点にするなど、交易の要衝として栄えてきました。キリスト教の拠点でもありましたが、イスラムの時代を迎えると、多民族・多宗教が共存する地域として繁栄を続けます。オスマンの支配が終わると、フランスの委任統治下となり、マロン派キリスト教徒と、それを上回るイスラム教徒が混在する国が形成されます。1943年に独立しています。小国ながら経済繁栄を謳歌し、ベイルートは中東のパリと称されるほど華やかな街でした。状況が変わったのは中東戦争の勃発でした。多くのパレスティナ難民が流入し、宗教バランスが大きく崩れたことから、マロン派がイスラム教徒から圧迫され、ついには内戦へと発展します。
その後、パレスティナ解放戦線が拠点を置いたことから、シリア、イスラエルの激しい介入が幾度も繰り返されます。すると、アメリカ、ソヴィエト、欧州各国、周辺イスラム各国の思惑が交錯し、もはや単純な内戦とは言えない状況にまで至ります。国家は、事実上、崩壊し、各派が割拠する地域へと変わります。本作は、カナダとレバノン、現在と過去、という二重構造を持って語られていますが、レバノンでの過去パートは、内戦初期から始まっています。マロン派キリスト教徒の娘が、パレスティナ難民の青年と恋に落ち、生まれた子供は南部の孤児院に連れて行かれ、娘は一家の面汚しとして放逐されるところから、ドラマが生まれます。まさに内戦の構図そのものと言えます。
長く続いた内戦が生んだレバノン人のディアスポラは有名です。レバノン国内の3倍におよぶレバノン人が、欧米に暮らしています。特にブラジル、アルゼンチンは多く、数百万人と言われます。東地中海の交易で培われたレバノン人のビジネス・センスは定評があり、各国でネットワークを作り、経済的な成功を収め、裕福に暮らしている人が多いようです。カルロス・ゴーンも、その一人です。ブラジルに生まれ、パリで学んだレバノン人です。また、レバノン人ディアスポラの教育熱心さもよく知られています。南米各国の大統領はじめ、アメリカでは、多くの閣僚やホワイトハウスのスタッフを生んでいます。ちなみに、本作では、レバノンという国名は、一度も語られず。また都市も架空のものとなっています。内戦が終わったのは、1990年のことですが、まだ何かと差し障りがあるのでしょうか。(写真出典:amazon.co.jp)