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小岩井の一本桜と岩手山 |
恥ずかしながら、小岩井という名称は、土地の名前だと思っていました。創業者である日本鉄道会社副社長の小野義眞、三菱社社長の岩崎彌之助、鉄道庁長官の井上勝の名字から名付けられたものでした。鉄道の父とも呼ばれる井上勝は、幕末、伊藤博文らと共に英国へ密航した”長州ファイブ”の一人でした。英国で鉱山や鉄道の技術を学び、日本における鉄道の基礎を築きました。1980年、東北本線の延伸工事のために盛岡を訪れていた井上は、岩手山の裾野を見て、牧場建設の構想を得ます。後に井上は、鉄道建設のために多くの「美田を潰した償い」だったと語っているそうです。
しかし、事はそう簡単でありませんでした。井上は、三菱の支援のもと、土壌改良、植林、洋式農法の導入、機械化への試み等を行いますが、本人が素人なうえに鉄道建設に忙しく、また畜産物の市場も未熟であり、経営は困難を極めます。1899年、井上は、経営を三菱に移管します。当時の三菱の総帥は、三代目社長岩崎久弥でした。弥太郎の長男である久弥は、三菱財閥の事業と組織を確立させた人でした。大規模農業を事業の一つとして力を入れた久弥は、小岩井農場だけでなく、千葉の末廣農場、ブラジルのコーヒー園である東山農場、さらにスマトラや韓国でも農場を開き、経営しています。
久弥は、ブリーダー事業を小岩井農場のメイン業務にします。これは、単に小岩井農場を成功させただけでなく、日本の畜産業の発展にも大きく貢献することになりました。また、本格的な事業としての乳業を開始しています。この頃、乳製品が普及し、市場が形成されつつありました。特に、日清・日露戦争において、傷病兵の栄養補給として牛乳が使われたことで、急速に普及していったようです。小岩井の乳製品のブランド力は、久弥によって基礎が築かれたわけです。久弥は、慶應義塾卒業後、ペンシルベニア大学のウォートン・スクールでMBAをとっています。農業と酪農が盛んなペンシルベニアでの経験が、農政事業への情熱の背景にあったものと思います。
小岩井農場の乳製品は、現在、小岩井乳業が担っていますが、最も有名な製品と言えば「小岩井純良バター」だと思います。1902年に発売されています。小岩井のバターは、他よりもコクと香りが良く、昔から人気でした。その大きな理由は、製法の違いにあります。小岩井は、当初から発酵製法にこだわってきました。欧州のバターは、大半が発酵バターです。対して、日本における一般的なバターは、非発酵バターです。バターの輸入が始まった頃、非発酵バターが多かったので、そのまま定着してしまったようです。近年、エシレはじめ、欧州の発酵バターが多く流通し、その美味しさが知られるようになりました。小岩井は、発酵バターの先駆者でもあったわけです。(写真出典:koiwai.co.jp)