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盆提灯 |
祖霊崇拝は、稲作と深く関係していると思われます。稲作では、田んぼと共に、労働力が重要な生産要素となります。家族、一族、コミュニティを、労働力として組織化、統制するために、家父長制が生まれ、祖霊崇拝が生まれたのだと思います。仏教は、その強化・体系化に、実に有効だったということになります。産業革命以降、都市生活者が増え、一次産業従事者の割合が減ると、社会的必要性が乏しくなった仏事は寂れていく運命にありました。ただ、永らく社会に浸透してきた仏事は、消えるのではなく、さらに形骸化を進めることで生き残っているとも言えます。その変成のあり方を、端的に示している例が、盂蘭盆会なのだと思います。
お盆は、年に一度、浄土から現世に戻ってくる先祖の霊を供養する仏事です。もともとの盂蘭盆会は、旧暦7月1日、地獄の釜の蓋が開く釜蓋朔日からお迎えの準備が始まり、15日を中心に供養し、地蔵菩薩の縁日である24日までにお見送りするという行事でした。7月7日は七夕ですが、本来、七夕は”棚幡”と表わし、祖霊を祀る棚と幡を準備する日でした。いつの頃か、お盆は、社会の変化を映して、13~16日と短くなりました。迎え火は、祖霊が迷わないように、家々の玄関に焚かれたものでした。近年では、より大規模に行われる京都五山の送り火、花火大会、あるいは精霊流しなど、いわば地域の祭礼という形で残りました。
お盆に由来し、社会化した行事としては、他にも、お盆休みと帰省、盆踊り、夏祭り、あるいは道教がらみですが、お中元なども挙げられます。いずれも盂蘭盆会が起源ながら、もはや仏事とは縁遠い存在になっています。とは言え、帰省すれば、墓参りくらいはするでしょうから、社会的な変化に合わせて、姿を変えながら、盂蘭盆会は生き残っているとも言えます。お盆休みは、江戸期から定着していたようです。ところが、興味深いことに、歴史上、一度たりとも、国の休日に指定されたことがありません。神道の国教化を図った明治政府は、国民的行事とは言え、仏事を国の休日にはできなかったのでしょう。また、戦後は、憲法上の信教の自由を担保するために、お盆の休日化はできなかったわけです。
生産手段を共有しなくなった家族やコミュニティが分散するのは当然の流れです。それでも、年に一度、家族が顔を合わせる行事があることは悪いことではないと思います。アメリカでは、11月の第4木曜日に行われる感謝祭が、それに相当し、家族が集合します。ただ、国民の大移動が、一斉に発生することは、困りものです。企業の夏休みは、かつてお盆に集中していたものですが、近年は、7~9月の間と分散化し、あるいは期限を設けない休暇へと変わりました。それでも、やはりお盆に移動が集中するところを見ると、まだまだ仏教や農耕文化の影響は大きいな、と思い知らされます。(写真出典:kyo-butsudan.com)