2022年7月7日木曜日

フライング・スコット

モナコ・グランプリは、モンテカルロの市街地をコースとして、フォーミュラ・カーで競われるF1レースです。インディ・カーで行われるインディ500、市販車をベース・カーとするル・マン24時間レースとともに、世界三大レースとされます。1周3,334mのコースを78周します。市街地コースは、コースの狭さやバンプ等、サーキットとは大いに異なる特徴があり、F1レース屈指の難コースとしても知られます。大富豪が集まる高級リゾートで開催されるモナコ・グランプリは、F1を代表する最も華やかなレースでもあります。また、モナコ公国にとっても、国を代表するイベントであり、王室も全面的にバックアップしています。

ドキュメンタリー映画「ウィークエンド・チャンピオン~モンテカルロ 1971~」(2015)を見ました。1971年のモナコ・グランプリを走るジャッキー・スチュワートを、友人でもあるロマン・ポランスキーが密着取材します。映画は、ベルリン映画祭で公開後、お蔵入りとなります。40年後に、年老いた二人が再開し、当時の映像を見ながら語る、といった内容です。お蔵入りとなった理由は分かりません。ただ、運転技術にフォーカスしたややマニアックな内容であること、ポール・ポジッションを獲得したジャッキー・スチュワートが危なげなく優勝したことで、F1に求められた華やかさや派手さに欠ける結果となり、一般公開を断念したのかも知れません。

スコットランド出身のジャッキー・スチュワートは、フライング・ダッチマンにかけてフライング・スコットとも呼ばれました。F1レース27勝、ワールド・チャンピオンも3度獲得しています。モナコでも3度優勝しています。冷静で知的なドライビングで知られ、F1レースを変えたとも言われます。ポランスキーを横に乗せ、コースを解説するシーンがあります。ここまで4速で引っ張る、ここは2速で入る、ここで軽くブレーキングといったタクティクスが詳細に語られます。非常に興味深いシーンですが、語りすぎたことがお蔵入りの原因かも知れません。かつて、モナコ・グランプリでのギア・チェンジは4,500回以上といわれ、ドライバーは、手にまめができ、場合によっては血まみれになると言われました。なお、現在は、7速ギア・ボックスの電子制御方式に変わっています。

ジャッキー・スチュワートが活躍した時代、1960~70年代は、レーサーの死亡事故が多かった時代でもあります。マシーンがどんどん早くなる一方で、ドライバーの安全に対する配慮は遅れたままでした。F1に限ってみれば、80年代以降の死亡事故は、わずか4件です。1994年のサンマリノ・グランプリでアイルトン・セナが死亡します。音速の貴公子とも呼ばれたセナは、モナコ最多6度の優勝を誇りました。セナ以降の死亡事故は、現在に至るまで1件だけです。マシーン、レギュレーション、装備、全ての面からドライバーの安全が考慮され、かつドライバーの技術や意識も高まっているからだと聞きます。実は、ドライバーの安全確保を、主催者やファクトリーに主張した初めてのレーサーが、ジャッキー・スチュワートでした。40年後の対談でも、この点がクローズアップされていました。

F1の代名詞とも言えるモナコ・グランプリですが、次年度以降の開催が危ぶまれているというニュースがあります。開催国側とF1側が、いくつか理由で対立しているようです。大きなポイントは開催料と言われます。いまやレースの開催を希望する国は、相当の開催料をF1側に支払っているようです。モナコも同様ですが、過去の経緯もあって、例えば新参のカタール等に比べると1/3程度に留まっているようです。F1側は、大幅アップを要求しているわけです。他にも、コース・レイアウトの変更、モナコ側が離さないライブ映像権やスポンサーの広告料なども争点になっているようです。なんとか妥協点を見つけ、伝統のレースを維持してもらいたいものだと思います。(写真出典:curbs-magazin.com)

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