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梅むらの豆かん |
みつ豆は、賽の目状の寒天、茹でた赤エンドウマメ、求肥、干し杏子、シロップ漬けのミカン等に黒蜜をかけたものです。舟和は、これを銀の器に盛り付け、銀のスプーンを添えて出しました。大人の甘味を目指したと言われます。当時、流行していたビアホールやミルクホールの向こうを張って”みつ豆ホール”と称した店舗で売り始めたそうです。みつ豆に餡子をのせた“あんみつ”は、1930年に、銀座の「若松」が考案したとされます。その後、様々なヴァリエーションが登場します。アイスクリームをのせたもの、白玉団子を入れたもの、カットしたフルーツをのせたもの、あるいは、それらを組み合わせたものなどがあります。
店による味の違いは、黒蜜と赤エンドウマメで決まります。寒天やその他の食材に大きな味の違いはありません。そこで登場するのが”豆かん”、つまり豆かんてんです。赤エンドウマメ、寒天、黒蜜というシンプルさは、味に自信がなければ出せない代物です。野球で言えば、剛速球といった風情です。1968年、浅草の観音裏に開店した「梅むら」が考案したとされます。豆かんも、甘味処の定番メニューですが、やはり「梅むら」の赤エンドウマメが最上だと思います。厳選した豆は、黒光りする色合い、塩味と甘みのバランス、ほどよい歯ごたえが絶妙な炊き上がりです。「梅むら」最大の問題は、観音裏まで行かないと食べられないことです。
なかなか浅草まで出向く機会も少なく、豆かんが食べたくなると、舟和のお土産を利用しています。暑い日が続くと、冷やした豆かんは格別美味しく感じます。それは、間違いなく寒天の食感ゆえだと思います。寒天は、17世紀の日本が発祥とされます。諸説ありますが、伏見の宿屋美濃太郎左衛門が、戸外に放置し凍ったトコロテンを見て発見したとされます。寒天という絶妙な命名をしたのは、中国から渡ってきて黄檗山萬福寺を創建した隠元禅師だと言われます。海外でも凝固剤として活用され、戦前は、日本の主要輸出品だったとも聞きます。ほとんどカロリーがないことから、現在は、健康食品にも多く使われるようです。
観音裏は、吉原と浅草寺の間に位置し、かつては色町として賑わったものだそうです。1958年の売春禁止法以来は、寂れる一方の街でした。かつて、梅むらへ行くと、周囲には、他の街とは明らかに異なるムードが漂っていたものです。以前から、おにぎりの宿六、釜飯のむつみ、大学芋の千葉屋等の有名店もありましたが、近年は、おしゃれな店が増え、人気スポットになりつつあるようです。かつてほどの賑わいはないとは言え、東京を代表する歓楽街浅草の底力は、なかなか侮れないものがあるわけです。(写真出典:otonano-shumatsu.com)