2022年6月8日水曜日

冷たい肉そば

東日本大震災発生直後は、多忙な日々が続きました。ただ、ひと月もすると、現地支援態勢も、業務運営に関する諸対応も整い、日々の仕事にも落ち着きが出てきました。新年度の開始時期と言えば、通常、会議や研修が続き、あるいは現地出張にと忙しいのですが、さすがに、すべて中止となりました。その頃、仕事終わりに、仲間たちと、三日にあげず通った店があります。神田美土代町交差点そばの「河北や」です。朝と昼は、立ち食い蕎麦屋、夜は居酒屋という店です。山形の料理と酒が売りですが、とにかく肴がなんでも美味しいのです。とりわけ、冷たい肉そばは絶品で、これをシメに食べるために通っていたようなものでした。 

冷たい肉そばは、山形県河北町の名物です。河北町は、山形市の北に位置し、紅花で有名な最上川沿いの町です。そば王国の山形ですが、主な生産地は最上川沿いに集中しています。ただ、食べ方は、地域によって異なる特色があるようです。冷たい肉そばは、河北町だけで食べられています。鶏からとった出汁を冷たくしてそばにかけ、鶏肉、ネギをのせて食べます。鶏肉は、ひね鶏を使います。出汁は、コクがあるのに、さっぱりいただける絶品です。そばのレベルの高さは言うまでもありません。美味しい山形の日本酒を飲んだ後のシメには、最適の逸品です。さすがに、一人一杯は多いので、二人で一杯程度に小分けしてもらって食べていました。

正式名称である「冷たい肉そば」には、いつも違和感を感じていました。”冷やし肉そば”とでも言う方が普通なのではないかと思います。また、”温かい肉そば”は存在しません。温かいものを、あえて冷やして出す、ということでもありません。まるで本家がなくて分家だけがあるといった感じです。とにかく冷たい肉そばが気に入ったので、山形へ行った際、本場の河北町へ行き、人気の店で食べたことがあります。西神田の「河北や」では、冷やした出汁を使いますが、河北町で食べた時には、常温の出汁でした。つまり、冷やしていないのです。”冷たい”という表現は、常温を意味していたわけです。その呼び方は、冷たい肉そば誕生の経緯と関係しているようです。なお、個人的には、冷やした出汁の方が好みです。

冷たい肉そばが、いつ、どのような経緯で生まれたのかは、はっきりしていません。「かほく冷たい肉そば研究会」が唱える説が定番になっているようです。戦前の河北町で、一杯やろうとすれば、蕎麦屋しかなかったと言います。ほとんどの客が、馬肉の煮込みで一杯やって、シメには盛りそばというスタイルだったようです。ある時、客の一人が、すっかり冷めた馬肉の煮込みを、盛りそばにかけて食べたら美味しかったというので、評判となります。メニュー化される過程で、馬肉よりも入手しやすかった鶏肉を使うようになります。常温の出汁を使うのは、そばが伸びることを防ぐためでもあったようです。確かに、酒飲みにはありがたい配慮かも知れません。

盆地がゆえに、山形の夏はとても暑い、と聞きます。山形の夏の風物詩に「冷やしラーメン」があります。冷やし中華ではありません。まったく別ものです。冷やしたスープに冷やした麺、いわばラーメンをまるごと冷やした代物です。これは、さすがに意見が分かれます。私は、また食べたいとは思いませんでした。それにしても、山形の人たちは、面白いことを考えつくものです。ただ、冷たい肉そばも、冷やしラーメンも、固まった油分は浮いていません。丁寧に取り除いているのでしょう。いずれもコクがあって、かつあっさりしたスープなわけです。一度冷まして余分な油分を取り除いた出汁やスープこそ、山形の発明のポイントなのかも知れません。(写真出典:tabido.jp)

マクア渓谷