監督:ミシェル・フランコ 2020年メキシコ・フランス
☆☆+
(ネタバレ注意)
貧富の格差が激しいメキシコで、反政府デモの一部が暴徒化し、結婚パーティが開かれていた上流階級の邸宅を襲います。華やかなパーティは、殺戮と略奪の場へと変わります。フィクションですが、いつ起こってもおかしくない話です。パーティの華やいだにぎやかさから、一転して阿鼻叫喚の地獄と化した邸宅のシーンは、テンポ良く、さばきが見事で、監督の力量の高さを見せつけます。このシーンの高い評価が、ヴェネツィア国際映画祭での審査員特別賞につながったのでしょう。ただ、問題は、映画の後半です。暴動の鎮圧に出動した軍隊が、秘密裏に誘拐ビジネスを始めます。その悪辣なやり方が描かれます。もちろん、軍による誘拐ビジネスは、衝撃的なプロットなのですが、あり得る話のようにも思え、あるいは既に起こっていたとしても、さほど驚きません。しかも、前半のパーティ・シーンが長尺だったために、誘拐プロットは、やや窮屈となり、効果的な演出もできていません。結果、前半の強烈さゆえに、後半は消化試合的な印象になっています。誘拐プロットがメインなのであれば、パーティ・シーンは、もっと短く効率的に提示されるべきでした。パーティ・シーンの見事さからすれば、そこをラストにして、前半は、そこに至るエピソードを積みあげた方が良かったようにも思います。簡単に言えば、欲張りすぎです。2本の映画として制作しても良かったくらいです。
ミシェル・フランコは、メキシコ映画界の貴公子といった印象です。若くしてカンヌ国際映画祭の常連となり、本作では、ヴェネツィアで銀獅子賞を獲得しています。1990年代に始まったとされるヌエーヴォ・シネ・メヒカーノは、メキシコ映画界から多くの才能を世界に送り出してきました。その代表格とも言えるのが、いまやアカデミー賞の常連となったアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥやアルフォンソ・キュアロン、あるいはカルロス・レイガダス等です。ミシェル・フランコは、彼らに続く第二世代なのでしょう。本作が長編5作目になりますが、腕の確かさは間違いありません。
銀獅子賞を獲得した本作が、興行的に一定の成果を挙げられれば、メキシコ映画の新しい流れが生まれるかも知れません。ミシェル・フランコは、もともとジャーナズムを学び、政治をテーマとした短編を撮っていたようです。これまでは、自然主義的な作風でしたが、本作では、政治エンターテイメントといった路線を狙っています。メキシコの政治的現状を考えれば、なかなか政治的な映画は制作し難いのかも知れません。ただ、そこに確かな手腕によるサスペンス性が加われば、かつて、コスタ=ガヴラスが見せてくれたような政治サスペンス映画が、また観られるかも知れません。
それにしても、中南米、南米の経済格差問題は、本当に根深いものがあります。ネオ・リベラリズム以降、世界各国でも、経済格差が拡大し、固定化していく傾向があります。日本も同様です。しかし、南米のそれは数百年続き、革命であろうと、社会主義政権であろうと、解決できていません。メキシコでは、格差問題が麻薬問題へとつながり、手の施しようがないところまで来ているようにも思えます。(写真出典:filmarks.com)