![]() |
大門素麺 |
素麺の起源は、唐から伝わったお菓子「索餅(さくべい)」だと言われます。索餅は、小麦粉と米粉を練って棒状にし、それを縄状にひねって乾燥させたものです。祭事や宮中行事など、祝いの席の神饌とされていたようです。また、病除けとして七夕にも食べられていたようです。それが、素麺に進化していったというわけです。ただ、北宋の文献に、小麦粉を練って油で伸ばし乾燥させる「索麺」の記載があるようです。素麺そのものです。恐らく、これが日宋貿易のなかで、日本に伝わったというところが真相ではないかと思います。いずれにしても、室町時代には、現在の形で作られ、食べられていたようです。
日本で最も古い素麺の産地は、奈良の三輪だとされます。やはり索餅起源かなと思わせる話です。生産量は少なく、かつては7割方は島原で作ったものであり、産地偽装問題にもなりました。三輪素麺は、綿実油で伸ばします。「神杉」と呼ばれる最高級品が有名ですが、究極の極細麺です。素麺は、細いものが上物とされます。確かに、神杉は別世界の観があります。播州揖保乃糸も有名です。揖保乃糸は黒帯が高級品となりますが、なかでも最高級品は「三神」という極細麺です。また、熟成も素麺の味には重要な要素であり、揖保乃糸にも熟成麺があります。熟成感を強く感じるのが、徳島の半田素麺です。半田素麺は、うどんに近い太めの麺が特徴です。
様々な素麺を食べてきましたが、最高の逸品だと思うのが、富山県砺波市の大門素麺です。江戸末期、輪島素麺の製法が砺波の大門地区に伝わり、かつては盛んに作られていたようです。残念ながら、本家の輪島素麺は、後継者が無く、絶えてしまったようです。大門素麺は、冬の時期、油を一切使わず、完全に手延べで作られます。手延べの作業には、あうんの呼吸が求められ、夜を徹して、夫婦で作っているとのこと。現在の生産者は、わずか11軒。希少価値が高まっています。大門素麺のもう一つの特徴は、長い麺を丸髷のように丸めた形です。それを生産者名が記載された紙に包みます。茹でる時には、それを二つに割ってから茹でます。
沖縄のソーミン・チャンプルーも好物の一つです。単純な料理なのですが、なかなか作るのが難しい代物でもあります。麺がフライパンにくっつき、うまいこといきません。素麺の食べ方で、最も解せないのは、鹿児島のそうめん流しです。指宿市の唐船峡名物です。流すのではなく、機械で水を回し、そこにそうめんを入れて食べます。子供だましの流しそうめんじゃないかと思ってしまいますが、わんさか人が集まるのだそうです。実は、唐船峡の水は美味しい水で、素麺との相性がいいとされます。そうめん流しは、そうめんと水を味わうための仕掛けなのだそうです。馬鹿らしいと思っていましたが、そう聞くと食べて見たくなります。(写真出典:amazon.co.jp)