2022年6月12日日曜日

さんさ踊り

初めて、盛岡さんさ踊りを見たのは、2016年、青森開催となった「東北六魂祭」でのことでした。六魂祭は、各県を代表する祭をパレード化したイベントであり、東日本大震災の鎮魂と復興を願って、2011~2016年、東北6県持ち回りで開催されました。その後も「東北絆まつり」として継続されています。青森はねぶた、岩手はさんさ、秋田は竿灯、山形は花笠、宮城は仙台七夕に代えて雀おどり、福島はわらじ祭が披露されていました。手前味噌にはなりますが、ねぶたに敵う祭など東北にはありません。ただ、盛岡さんさ踊りの勢いには圧倒されました。もちろん、さんさは知ってはいましたが、これほど魅力的な踊りとは知りませんでした。完全になめていました。

さんさは、アップテンポなリズムに乗せて踊られます。人数も含め、中心を成すのは太鼓踊りです。体の前につけた直径約50cm、重さ6~7kgという和太鼓を叩きながら軽快に踊ります。さらに、動きの速い手踊り、歌い手、笛と鉦で構成されます。最も多い数の和太鼓の演奏としてギネス世界記録も持っているようです。また、「サッコラ チョイワヤッセ」という独特な掛け声も、なかなかいい調子です。サッコラとは幸呼来であり、チョイワヤッセは囃子声。幸せを呼ぶよう皆で踊ろうといった意味だと言われているようですが、他の民謡や踊りの掛け声と同様、意味ははっきりしていません。そもそも「さんさ」も、掛け声が起源と言われます。”さァ、さァ、踊りましょう”といった感じなのでしょう。

さんさは、江戸期から盛岡近郊で踊られていた盆踊りを、1953年に統合して今の形になりました。歴史の浅さゆえ、私にまでなめられていたわけです。さんさの起源も不明なのですが、なかば公式的に言われているのが、三ツ石伝説との関係です。盛岡で最も古いとされる三ツ石神社には、岩手山噴火の際に飛んできたとされる三つの巨石があります。これは、なかなか迫力のある岩です。かつて羅刹という鬼が出て、これを三ツ石神社の神様が退治します。その際、二度と現われない証文として、岩に鬼の手形を残させます。これが岩手の語源となりました。人々は鬼退治を祝って三ツ石の周りを踊ります。これがさんさの起源となりました。なお、鬼の手形は風化したとされ、現在は残っていません。ねぶたの坂上田村麻呂起源説と同様、観光ビジネスの匂いがする話です。

盛岡は、昔から「不来方(こずかた)」とも呼ばれます。今も、様々な形で使われている呼称です。文献としては、南北朝時代までさかぼる地名と聞きます。この不来方は、”鬼が二度と来ない土地”という意味だとされます。鬼がらみかどうかは別としても、確かに風変わりな地名です。鬼は蝦夷を指すという説もあります。ただ、大和朝廷に下ったとは言え、蝦夷だらけの土地なわけですから、さすがにあり得ません。この地に進出した初代南部藩主が、不来方という地名を忌み嫌い、森が岡、転じて盛岡になったとされます。ちなみに、岩手という地名は、三ツ石の鬼の手形のことではなく、岩手山にちなんでいます。岩手山の語源は、”岩出(いわいで)”、つまり噴火を表わす言葉だとされています。

日本三大囃子と言われるのは、江戸の「神田囃子」、京都の「祇園囃子」、そして秋田県鹿角の「花輪囃子」です。花輪囃子は、他の二つに比べて意外な感じもしますが、実は平安時代末期から続くとされる古い囃子です。飛び跳ねるようなテンポが特徴的で、太鼓、笛、鉦に、江戸期からは三味線も加わり、賑やかなものです。鹿角は、北奥羽中央に位置し、8世紀初頭に開山したとされる尾去沢鉱山の銅や金で栄えた土地です。平安期から都との交流があったわけです。江戸期には、南部藩の領地となります。個人的には、さんさ踊りは、歴史ある鹿角の花輪囃子が起源なのではないかと思っています。(写真出典:morioka.keizai.biz)

マクア渓谷