2022年5月7日土曜日

メーデー

血のメーデー事件
労働者の日としてのメーデーは、戦後、国連が定めた国際デーとなっており、世界各国では祝日とされています。メーデーは、1886年5月1日、後のAFL(アメリカ労働総同盟)が、8時時間労働を求めて行ったストライキが起源とされます。アメリカは、メーデー発祥の国にも関わらず、5月1日は祝日ではありません。ただし、9月の第一月曜日がレーバー・デーとして祝日になっています。アメリカにおいて、レーバー・デーは、AFLの5月1日ストライキよりも歴史が古く、かつ祝日と制定されたのも1894年と早かったため、祝日とはなりませんでした。

日本もメーデーは祝日となっていません。日本は、戦後すぐ、11月23日を勤労感謝の日と定めています。同じ趣旨の祝日が存在していたことから、メーデーは祝日とされませんでした。では、なぜ11月23日が労働者の日となったのでしょうか。この日は、明治初期から「新嘗祭(にいなめさい)」という祝日になっていました。新嘗祭は、天皇家の祭祀として、古代から祝われてきました。天皇が、その年に収穫された穀物を天津神と国津神に捧げ、感謝の奉告を行うという祭祀です。新嘗祭は、旧暦11月の二の卯の日に行われていましたが、明治になり、新暦、つまりグレゴリオ暦が採用されると、11月23日に固定されました。

戦後、憲法において信教の自由が定義されると、国家神道色の濃い祝日である新嘗祭も廃止される運命にありました。ただ、その趣旨は収穫や生産に感謝を捧げることであり、かつ国民間に定着している祝日でもあり、「感謝の日」として残すことになりました。また、一説によれば、進駐軍から感謝祭(Thanksgiving Day)の祝日化を要請され、感謝の日で対応したとも言われます。収穫祭という意味では同じとも言えますが、感謝祭は、新大陸で飢餓状態に落ちいったピルグリム・ファーザーズが、助けてくれたインディアンに感謝するために始めたとされています。もちろん、キリスト教の文化に根ざしています。それを日本に強要するとは信じがたい話です。いずれにしても、「感謝の日」は、対象が漠然としてるので「勤労感謝の日」として祝日化されました。

日本におけるメーデーは、大正末期の1920年に始まります。ただ、軍国主義の時代には禁止され、再開されたのは戦後の1946年でした。再軍備反対、日米安保反対といった政治スローガンが中心になってくると、1952年には皇居外苑でデモ隊と警察部隊が衝突し、死者が出ます。いわゆる”血のメーデー”です。その後、高度成長期には、各団体統一のメーデーが行われ、春闘という共闘スキームと共に、賃上げ獲得に貢献します。しかし、春闘の枠組みが崩れ、労組の組織率低下とともに、参加者は低迷、メーデーは分裂開催となりました。労働者個々人は、経営側に対して、立場が弱いものです。組織化して対抗することは、十分以上に意味があります。また、経営のチェックという面でも極めて有意義だと思います。組織としての力を高めるために、各労組が連携することも有効ですし、メーデーの意義も理解できます。

ただ、現在の労組は、今日的な労働者のニーズに応える態勢になっていないことから、組織率を下げているのだと思います。また、ユニオンショップ制にあぐらをかいている労組も多いように思います。労組や労働団体が組織力を確保するために、統一的な取り組みを必要とすることは理解できます。ただ、多様化が進んだ時代にあっては、個々の問題の解決にこそ労組の力が求められるのではないかと思います。企業別組合、年功序列、終身雇用は、日本の高度成長を支えた三種の神器と言われます。年功序列は既に崩れ、終身雇用も変わりつつあります。企業別組合というあり方も、曲がり角を曲がってしまっているように思います。欧米式の産業別組合にも問題は多くありますが、今後の労組のあり方として、検討すべきではないかとも思います。(写真出典:47news.jp)

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