大谷石は、軽石凝灰岩であり、海底に堆積した火山礫が、隆起して地上に現われたものです。宇都宮近郊に多く見られ、最盛期には120もの採石場があったようです。現在は、10カ所程度の坑内掘り採石場が稼働しているそうです。軽石を多く含むことから、加工しやすく、耐火性や耐湿性が高く、建材として活用されてきました。門塀、蔵の外壁などに多く使われます。また、耐熱性の高さから石窯などにも使われるようです。その白っぽい色合いも魅力です。ただ、多孔質ゆえに劣化も早く、屋外では黒っぽくなってきます。加工技術が進んだので、最近は、コースター、キャンドル立て、鉢カバー等も販売されています。
北関東は、縄文遺跡の多い土地ですが、大谷石は、既に、竪穴式住居の炉石として活用されていたようです。また律令時代の国分寺の礎石にも使われているとのこと。実に古くから活用されてきた石です。とは言え、産出量が飛躍的に増えるのは、明治以降です。洋風建築が増え、建材としての用途が広がったわけです。しかし、大谷石の人気を決定的にしたのが、1922年建造の旧帝国ホテルです。ランク・ロイド・ライトの代表作とも言われる旧帝国ホテルは、大谷石が多く用いられています。その完成披露の日、関東大震災が発生したものの、さしたる被害も無かったという話は有名です。現在、ファサードは、愛知県の明治村に移設、展示されています。
採石場跡では、手掘り、機械掘り、両方の痕跡が見られます。機械掘りの歴史は、意外と浅く、普及したのは1960年頃と言われます。いかに扱いやすいといっても、地中深く、人力で掘り出し、運搬することは大変な重労働だったに違いありません。資料館そばの露天掘りの跡の一つは、山をくり抜くように採石されています。薄く残った山の頂上部は、いつ崩れてもおかしくないように思えます。実際、1989年には、地下の採石場が大規模に陥没し、採石場の閉鎖、観光客の減少を招いたとされます。水分にさらされた大谷石の劣化を考えれば、頷ける事故です。公開されている採石場跡は安全だとされていますが、多少、陥没事故の記憶が頭をよぎることも事実です。
資料館そばには、天台宗の大谷寺があり、弘法大師手掘りとされる磨崖仏があります。掘られているのは千手観音ですが、その高い技術は、渡来人によるものとの説もあるようです。ただ、気になるのは、空海が彫ったという観音様を天台宗のお寺が誇らしげに説明していることです。1200年に渡る天台・真言の不仲も、弘法大師の名声にはかなわないということなのでしょうか。(写真出典:tripadvisor.jp)