ここでかりゆしウェアの知名度は高まるわけですが、その名を全国に知らしめたのは、2000年に開催された九州・沖縄サミットだったと思います。各国首脳が着用したことで、認知度は格段にアップしました。沖縄県内では、公式の場も含めて夏場の定番となり、毎日ではありませんが、閣僚も着用するに至ります。ハワイのアロハ、フィリピンのバロン、インドネシアのバティック同様、オフィシャル・ウェアとして定着した感があります。開襟、半袖、裾出しのかりゆしウェアは、高温多湿な日本の夏に最適なファッションだと思います。1979年、オイルショックを受けて政府が提唱した”省エネ・ルック”なるゲテモノがありましたが、これはさすがに一般化しませんでした。2005年に始まるクール・ビズ運動が、かりゆしウェアの普及を促進したと思います。
十数年前、沖縄支社へ出張し、皆の前で話す機会がありました。プライベートは別として、公式行事への参加は初めてでした。かりゆしウェアで臨まなければ、沖縄の人たちに失礼になると思い、空港に出迎えてくれた支社長に、まずはかりゆしショップへ連れて行ってくれ、とお願いしました。ホテルにチェックインがてら、ホテルのかりゆしショップでどうですか、というので、ホテルへ向かいました。ホテルでは、支配人と営業担当者が出迎えてくれ、彼らも引き連れてかりゆしショップへ行くことになりました。店では、社長を呼んでくると行って、結局、6人くらいに囲まれて、かりゆしウェアを選ぶはめになりました。まず最初に見せられたのが、一点ものコーナーでした。地元の議員さんや社長さんたちは、柄がかぶらないように1点ものを着るのだそうです。芭蕉布や紅型を使った見事なものでしたが、とても買える値段ではありませんでした。
かりゆしウェアが、モデルとしたアロハ・シャツは、ハワイの日本人移民が作ったものでした。パラカと呼ばれるヨーロッパの船員たちのシャツの柄が、絣に似ていたことから、日本から持ち込んだ和服をシャツに作り替えたのが始まりとされます。20世紀初頭には日本移民によって商品化され、中国人商人がアロハ・シャツと命名したと言われます。いまでは、ハワイにおけるオフィシャル・ウェアでもあります。今もあるかどうかは知りませんが、かつては、毎週金曜日がアロハ・デイとされ、島民はアロハかムームーを着用していたものです。ハワイの日系人は36万人、うち沖縄出身者の子孫は4万5千人に登ります。アロハ・シャツの起源には、沖縄移民も関わっていたのでしょう。とすれば、かりゆしウェアは、里帰りしたファッションとも言えそうです。
”かりゆし”は、沖縄の言葉で、めでたいことを指します。沖縄県庁によるかりゆしウェアの定義は、沖縄県産であること、そして沖縄らしいデザインであることの2点だけです。柄は、琉球伝統の柄からトロピカルなものまでと、かなり多様性があります。スタイルにも、時々の流行があり、最近はボタンダウンが多い用に思います。ちなみに、アロハ・シャツのヴィンテージものは、高値で取引されます。また、ヴィンテージもののレプリカも人気です。いつか、かりゆしウェアにもヴィンテージ市場が登場するかもしれません。(写真出典:lfeelcoco.ti-da.net)