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Apollo e Dafne |
古代ローマで、勝者に月桂冠が与えられた理由は、太陽神アポロが月桂冠を身につけていたからです。アポロ、古代ギリシャ語のアポロンは、芸術、光明、医術、弓術、預言、家畜の神です。後に、太陽神ヘリオスと同一視されるようになります。アポロンは、ゼウスとレートーの息子です。ゼウスの寵愛を受けたレートーは、ゼウスの妻ヘラの怒りを恐れ、デロス島へ逃れて双子を出産します。アポロンと狩猟の女神アルテミスです。アポロンは、生後数日にして美しく立派な青年に成長したと言われます。大蛇を倒したり、ヘラクレスと戦い引き分けたりと武勲も有名ですが、一方で青年神らしく恋の話にも事欠きません。女神、妖精、王女、あるいはヒヤシンスの語源ともなった美少年ヒアキントスとの恋も知られています。
ただ一人、アポロンの求愛を拒み続けたのが、河神ペーネイオスの娘ダプネーでした。日本では、ダプネーよりも仏語・独語のダフネの方がなじみ深いと思います。ある日、弓矢に長けたアポロンは、小さなエロースの弓矢を馬鹿にします。怒ったエロースは、恋に落ちる黄金の矢でアポロンを射抜きます。矢を受けたアポロンは、最初に見たダプネーに恋をします。一方、エロースは、ダプネーに、恋を拒み続ける鉛の矢を打っていました。追いまわすアポロンから逃げ続けるダプネーでしたが、ある日、ついに捕まりそうになります。ダプネーは、父である河神に、私の姿を変えて下さい、と頼みます。すると、ダプネーの体は、たちどころに月桂樹へと変わります。諦めざるを得なかったアポロンですが、ダプネーの形見として、生涯、月桂冠を身に付け続けました。
月桂樹の学名は”Laurus nobilis”であり、高貴な緑という意味だとされます。月桂樹が、日本に入ってきたのは、明治のことであり、日露戦争の戦勝記念樹とされてから普及したようです。直訳でも意訳でもない”月桂樹”と呼ぶようになったのか、不思議なところです。実は、中国の伝説がもとになっていました。昔、仙人のもとで修業する呉剛が過ちを犯し、罰を受けます。罰とは、いくら伐っても元に戻るという、月に生えている桂の木を伐ち続けるというものでした。昔、中国では月の影を桂の木に見立てていたようです。月桂樹が日本に入ると、カツラの木に似ており、香りも強く、栄光や勝利を意味することから、伐っても元に戻るという「月の桂の木」があてられたとされます。
月ではなく、玄関前の月桂樹ですが、伐ち続け無ければならない私は、呉剛というわけです。さほど悪いことをした覚えもないのですが・・・。ところで、ローマのボルゲーゼ美術館には、ベルニーニの「アポロンとダフネ」が展示されています。ローマは、バロックの巨匠ベルニーニの作品であふれています。なかでも「アポロンとダフネ」は大傑作と言えます。躍動感はもとより、月桂樹に変わりつつあるダプネーの姿には臨場感すら感じさせます。ダプネーの伸ばされた腕の先端は、すでに月桂樹になっています。近日中に、うちの月桂樹の枝打ちもやらなければなりませんが、ダプネーの腕を切るかと思えば、多少、心が痛みます。(写真出典:ja.wikipedia.org)