2022年5月26日木曜日

牛丼

生まれて初めて東京に来たのは、20歳の頃だったと記憶します。父親が「なんだ、東京にも行ったことがないのか。見てこい」と旅費を出してくれました。東京の大学に来ていた友人たちと、プラプラ遊んだだけのことでしたが、印象に残ったことが二つあります。一つは、駅構内にひっきりなしに入線してくる電車の騒音の凄さ 、今一つは吉野家の牛丼の美味しさです。吉野家は、1968年にチェーン展開を開始し、1973年にはフランチャイズも開始しています。店舗数の拡大とともに、大ブームを巻き起こしていました。牛丼ブームは知っていても、まだ札幌に吉野家はありませんでした。

日本初の牛鍋屋は、1862年にオープンした横浜の”伊勢熊”だとされます。明治に入ると、文明開化の大騒ぎとともに、牛鍋は大流行します。まだ、肉質が良くなかった頃、牛鍋は味噌仕立てだったようですが、その後、肉質が改善され、薄切り肉も出回ると、醤油、砂糖、出汁という、いわゆる割り下が一般化していきます。すき焼きの誕生です。それをご飯の上に乗せて食べる牛丼の原型は、明治中期には登場していたようです。築地の吉野家は”牛鍋ぶっかけ”という名称で売り始め、河岸の人たちの間で大人気になったようです。当時は、名前のとおり、すき焼きを、そのままご飯の上に乗せたものだったようですが、もっと肉を味わいたいという客の要望を受け、現在の形になっていったようです。

吉野家は、1899年、当時、まだ日本橋にあった魚河岸で開業しています。創業者である松田栄𠮷の出身地である大阪の地名から名付けたようです。その後、河岸が築地へ移転すると、場内に店を構えます。大戦末期の東京大空襲では、築地も焼失しますが、戦後、吉野家は、いちはやく屋台で商売を再開しています。また、吉野家は、戦前、築地に店を持っていた人たちに呼びかけて組合を作り、築地の再興に大きな貢献をしています。1952年には、当時、まだ珍しかった24時間営業も始めています。場内の大人気店は、その後、チェーン展開、フランチャイズ展開へと進むわけです。ここへ来て、東京下町の庶民の味は、全国区となり、柳の下をねらう他のチェーン店も続々とオープンし、牛丼は大ブームとなりました。

創業者の松田栄𠮷が考案したキャッチ・フレーズが「はやい、うまい、やすい」でした。1980年代、店舗急拡大が裏目に出た吉野家は、コストダウンのために味を落とします。即座に客は離れ、吉野家は会社更生法を適用せざるを得ませんでした。90年代、見事に復活した吉野家は、味と品質を強調するために、伝統のキャッチ・フレーズの順番を「うまい、やすい、はやい」に変えています。順番はどうあれ、これは江戸庶民が愛した食文化の神髄とも言える言葉です。屋台で供された江戸の名物”すし・そば・天ぷら”は、その典型です。その後、屋台が店舗に変わり、名物も高級化が進みます。しかし、そばは立ち食いそばが、すしは回転寿司が、「はやい、うまい、やすい」の伝統を守っています。吉野家の牛丼は、明治生まれながら、江戸の伝統を受け継ぐ新名物とも言えそうです。

神戸に行列のできる牛丼屋があります。10年ほど前にオープンした”広重”です。すきやき用の神戸牛を、2~3枚乗せたものです。たまたまですが、開店早々、人に連れられて行きました。これが美味いわけです。絶品です。ただし、それは神戸牛が美味いのであって、それを牛丼と呼ぶかどうかは微妙です。高級な牛肉は、すき焼きで食べれば良く、牛丼は、あくまでも安い牛肉をじっくり煮込み、はやい、うまい、やすいの心意気で出す代物だと思います。(写真出典:yoshinoya.com)

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