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Varanasi |
いずれにしても、無音という状態は、なかなか経験することが無く、違和感だけではなく、不安を覚えることもあるのでしょう。萩の町が、無音を目指しているとは思いません。車や人の通りが少なく、あるいは城下町らしく車の通る道が限られていたり、各種アナウンスも制約されていることから、結果、無音に近い状態が生まれやすいのでしょう。街には、その街の持つ匂いというものがあります。例えば、NYのすえた匂い、台北の五香粉の匂い、ホノルルのフレーバー・コーヒーの匂い、あるいはかつてのマドリードのドゥカードスというタバコの匂い等を記憶しています。ただ、近代都市の生活音には、さほど大きな違いはないように思います。ただ、日本と海外の街の音を比べると、一つ大きな違いがあります。車のクラクションです。
外国人は、日本のクラクション音の少なさに驚くようです。日本では、道路交通法上、クラクションは警告音とされ、危険回避以外の目的での使用は禁じられています。警告音と定義すれば、警告としての有効性を確保するために、他の目的での使用を禁じることは理解できます。日本におけるクラクション使用の少なさは、民度の高さとも言われますが、法で禁じられていることが最大の要因だと思います。海外の法規がどうなっているのかはよく知りませんが、恐らくクラクションに関する記載がないか、あったとしても努力義務程度の扱いなのでしょう。海外でのクラクションは、ドライバーの意思表示のための装置のように思えます。クラクションの代わりにスピーカーを付ければ、街は怒号であふれ、騒音はすざまじいものになることでしょう。
アジアの国々では、車はもとより、バイクのクラクションが加わることで、騒音レベルは格段に上がります。アジア的騒々しさの頂点に立つ街は、インドのワーラーナシー(ベナレス)だと思います。ガンジス川に面したガートと呼ばれる階段状の沐浴場では、毎日、日没後にプージャーという礼拝の儀式が行われます。信じがたいほど多くのヒンドゥー教徒が押し寄せ、そこに観光客も加わります。三々五々に礼拝するのではなく、僧侶たちによる儀式なので、開始時間めがけて、街中から人が集まります。日本なら車もバイクも乗り入れ禁止にするところだと思いますが、ワーラーナシーでは、路上生活者や牛が多い道に、ありとあらゆる乗り物が殺到し、身動きがとれない状態になります。そして、全員がクラクションを鳴らし続けるわけです。そのうえ、大音量で流される僧侶の祈りや儀式の音楽が加わり、街はカオスの極致に至ります。
ワーラーナシーは別格としても、アジア各地の夕暮れ時には、アジア的雑踏が生まれ、クラクションの洪水が起きます。日本の夕暮れは、いわゆる帰宅ラッシュということになります。東南アジアでは、自宅で食事する習慣がないところも多く、家族総出で、夕食を食べに行くためのラッシュが発生するわけです。NYのクイーンズにあるフラッシングは、いまやチャイナ・タウンになっているようですが、かつてはオール・アジア的な街でした。夕暮れ時には、アジア的雑踏が発生し、クラクションが騒がしく鳴る街でした。国を離れても、習慣は変わらないものなんだと感心したものです。(写真出典:newsclick.in)