フラメンコの魅力は、その情熱的な歌と踊りということになります。音楽は、超絶テクニックのギター、絞り出すような声が、激しく感情を吐き出します。もう一つ、フラメンコには欠かせない”楽器”があります。パルマと呼ばれる手拍子です。喉と手のひらは、人間にとって最も古い楽器であり、ごく気軽に演奏できる楽器でもあります。従って、手拍子は世界中に存在します。とは言え、民謡の単純な手拍子しか知らない民族からすれば、フラメンコ・パルマは、もはや神の領域としか思えません。その複雑に刻まれるリズムは、とても真似できるとは思えません。もちろん採譜され、その構造も明らかなので、習得することは可能です。ただ、それは理論ではなく、感性が打ち出すリズムであり、極めることは非常に難しいと思います。
フラメンコの根底には、コンパスと呼ばれる独特なリズム・パターンがあります。リズム・セクションのいないフラメンコでは、このコンパスが、カンタオール(歌い手)、ギタリスタ、バイラオール(踊り手)で共有されていなければ、フラメンコは成立しません。例えば3拍子の曲では、6拍、あるいは12拍で一つのコンパス、4拍子の曲では、4拍や8拍で1コンパスが構成されます。そこにアクセント(強弱)、コントラ・ティエンポと呼ばれる裏打ちが加わり、さらにリブレというコンパスが変わっていくパターン、あるいはポリリズム的に複数パターンのリズムが同時進行するものがあります。また、パルマにはセコとソルダというパルマの音の高さによる打ち分けがあり、サパティアードという踵打ちもあります。もう一つ言えば、絶妙のタイミングで繰り出されるハレオ(掛け声)もリズム感なくして成立しません。
フラメンコの起源については、後付けも含めて諸説ありますが、概ね、18世紀頃、アンダルシア西部のヒターノ、つまりロマ族の間で起こったと言われます。土地柄、イスラム文化の影響もあるとされています。初めは、カンテ(歌)、パルマ、そしてハレオだけだったようですが、19世紀後半になると、そこにバイレ(踊り)とトケ(ギター演奏)が加わり、現在の形になったようです。その情熱的な音楽の背景には、流浪の民ロマの悲惨な歴史があり、カンテは、ロマの悲痛な叫びそのものなのでしょう。ロマは、11世紀頃に、インドのラジャスターンを旅立ち、15世紀頃には東欧に達したとされます。ドイツ語系ではツィゴイネル、フランスではボヘミアン、英語ではジプシーと呼ばれます。ジプシーの語源はエジプシャンであり、15世紀頃、自らを低地エジプト出身と語っていたからとされます。
フラメンコのスターたちは、おおむねヒターノの血をひく人たちだと言われます。また、最近は別として、楽譜を読めない人が多かったようです。まさに民族の血から湧き出る音楽だったわけです。ロマの人たちは、芸能に秀でた人が多いと言われます。音楽はもとより、芸能全般で活躍していますが、最も有名なのは、やはりチャーリー・チャップリンということになります。ロンドンの貧しい芸人の父母のもとに生まれ、幼少期は救貧院と路上での生活を送ったとされます。チャップリンの初舞台は、5歳の時と言われます。唄を歌ったチャップリンは大喝采を浴びたそうです。やはり血なのでしょうか。(写真出典:superprof.es)