2022年5月13日金曜日

マーシャル・ロー

マルコス新大統領
数年前の東京国際映画祭で、フィリピンのブリランテ・メンドーサ監督の「ローラは密告された」を観ました。マニラのスラムの厳しい現状が、セミ・ドキュメンタリー・タッチで描かれていました。とてつもないパワーにあふれた作品でした。そのパワーの源は、政治に対する怒りだと思います。上映後、パネル・ディスカッションが行われました。印象に残ったのは、若いフィリピン女性の「We never forget the age of martial law !(戒厳令の時代を忘れてはいけない)」という言葉でした。祖国への思いがこみ上げ、涙声で語ったその言葉は、フィリピンの厳しい現状をよく伝えていると思いました。

2022年5月、フィリピンでは大統領選挙が行われ、ドゥテルテ大統領の後任として、フェルディナンド・マルコス(・ジュニア)氏が選出されました。同氏は、戒厳令によって独裁体制をしいたマルコス元大統領の長男です。父親とは、時代も、人格や政治信条も異なるのかも知れませんが、驚きとしか言いようがありません。同氏は、戒厳令時代を知らない若者たちをターゲットに、SNSを多用した選挙戦を徹底し、マルコス時代の明るい面だけを伝え続けたようです。明らかな歴史の修正です。今や、失業に苦しむフィリピンの若者たちは、マルコス時代は夢のような時代だったと誤解しているようです。また、同氏は、一切、公開討論会に参加していません。何を言われるかは明確で、かつ反論もできないことがはっきりしてたからなのでしょう。

信じられないのは、今の時代に、若者たちが、いとも簡単に修正された歴史を受け入れていることです。戒厳令時代を経験した人々が存在し、歴史的事実へのアクセスも容易なはずです。調べればすぐに分かることであり、また事実を伝えようとする動きも多かったはずです。にもかかわらず、マルコス・ジュニアは、大統領に選出されました。彼の陣営は、トランプの選挙戦を研究したのでしょう。SNSを使った巧みな誘導が行われたものと考えます。独裁下で行われたマルコスの悪行の数々は、司法上、裁かれていません。それを盾に取り、事実とは認定されていないと強弁していたようです。そして、勝利の最大の要因は、若者たちが政治と経済の現状に失望し、夢物語を強く欲していたということなのでしょう。ヒトラーはじめ、多くの独裁者が生まれた状況に類似します。独裁者は、大衆が生み出す幻想とも言えます。

マルコスの場合、独裁を生んだのは、米国の反共政策と本人の権力欲でした。48歳で大統領に就任したマルコスは、アジアのケネディと言われるほど、国民の期待を集めます。フィリピンでは、貧富の格差を背景に共産勢力が活動を強めていました。共産化を恐れた米国の支援のもと、マルコスは、経済政策を進め、一方で共産勢力を攻撃し、ヴェトナムにも派兵しています。しかし、急速でいびつな経済成長は格差を拡大し、国内情勢は不安定化します。1972年、マルコスは戒厳令を発して憲法を停止、独裁体制へと入ります。マラカニアン宮殿で、イメルダ夫人と王侯貴族のような生活を送るマルコスのもと、ネポティズムが進み、国民は生活苦にあえぎ、反対派は厳しい弾圧を受けます。しかし、リベラルな政権の誕生を恐れた米国は、これを支援します。1981年、ローマ法王の訪問を機に戒厳令は解除され、不正選挙によって、マルコスは再任されます。

1983年、米国に亡命中だった反マルコス派のベニグノ・アキノが、命の危険を顧みず、フィリピンに戻ります。アキノ氏は、世界中に同時中継されるなか、マニラ国際空港で射殺されます。衝撃的な事件でした。マルコスの関与は明らかにされず、首謀者として逮捕された参謀総長も無罪とされます。当然、国内外からマルコス批判が高まりました。1986年、アキノ氏の未亡人コラソン・アキノが大統領選挙に圧勝します。しかし、マルコスは、立会人による選挙結果を無視して、当選を主張します。国内は騒然となり、海外からの批判も増す中、米国に支援された軍部のクーデターによって、マルコスはついに宮殿を追われます。その際、宮殿に残されたイメルダ夫人の膨大な数の靴が話題となりました。独裁政権が滅ぶと、甘い汁を吸ってきた取り巻きは批判され、利権を奪われます。彼らが、復権を望むのは当然なのでしょう。しかし、民衆は、決して「戒厳令の時代を忘れてはいけない」と思います。(写真出典:nishinippon.co.jp)

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