アルバム名:Ebo Taylor(1977) アーティスト: Ebo Taylor
ガーナのイメージを聞けば、多くの人がチョコレートと答えると思われます。ロッテの定番商品”ガーナ・ミルク・チョコレート”からの連想です。ガーナ・ミルク・チョコレートは、1964年に発売されています。それまでの日本のチョコレートと言えば、軽めのテイストのアメリカ風が主流でした。ガーナ・ミルクは、欧州風、特にまろやかでコクのあるスイス風を目指した初の商品だったようです。発売以来60年近く、ガーナ・ミルクは、ベストセラーの地位を保ってきました。ネーミングは”スイス・チョコ”でも良かったはずですが、あえてカカオ豆の生産量ナンバー・ワンだったガーナを使い、パッケージにもカカオ豆を描き、チョコレート本来の美味しさを追求する姿勢を打ち出したのでしょう。カカオは、ガーナ原産でもなく、ガーナに自生していたわけでもありません。1876年、赤道ギニア領ビオコ島に鍛冶屋として出稼ぎに行っていたテテ・クワシが、帰国に際して持ち帰った種から、ガーナのカカオ栽培が急拡大しました。その背景には、栽培に適した気候と換金性の高さがありました。ガーナ発祥と言われる音楽”ハイライフ”も似たような成立経緯があります。その原型とされるパーム・ワイン・ミュージックは、リベリアの港町の安酒場で、中南米から帰国した元奴隷たちが始めたとされます。そもそも中南米音楽は、土着の音楽、西アフリカの奴隷たちが持ち込んだ音楽、そして欧州の舞曲等がミックスされて誕生しています。パーム・ワイン・ミュージックは、旅をして、少し垢抜けて、帰国した音楽というわけです。
狭義のハイライフは、第二次大戦後、ガーナの上流階級向けに始まったダンス音楽です。ガーナには、既に英国軍のブラスバンドに影響されたビッグバンドの文化があり、ハイライフ誕生につながったようです。ガーナ音楽界をリードしてきたギタリストのエボ・テイラーの音楽も、ハイライフが基本となっています。そこにアフロ・ビートの要素が加わり、独自の音楽が形成されています。エボ・テイラーは、1960年代中期、ロンドンへ留学しています。そこでビートルズやストーンズに触れ、かつナイジェリアのフェラ・クティと知り合います。アメリカのファンクに刺激されたフェラ・クティは、自分たちの音楽の必要性を痛感し、アフロ・ビートを生み出します。その思想が、エボ・テイラーにも引き継がれたわけです。
エボ・テイラーの音楽は、ポリ・リズム、ファンキーなカッティング・ギターの上に、強烈なブラスが鳴り響きます。それは、ガーナ音楽の歴史が詰まっているかのようでもあります。1936年生まれのエボ・テイラーは、永らくガーナのローカル・ミュージシャンに過ぎませんでした。2000年前後に至り、アメリカのヒップホップのアーティストたちが、彼を”発見”します。2008年にはアルバム”Love and Death ”がリースされ、世界はエボ・テイラーを知ることになりました。以降、彼の旧作も次々と”発掘”され、世界に広がっていきました。本作”Ebo Taylor”も、その一作ですが、70年代のアフロ・ビート色の濃い時代のベスト・アルバム的な内容になっています。特に”Heaven”は、いつまでも耳に鳴り響く傑作だと思います。
ガーナは、1957年に独立するまで”英領ゴールド・コースト”と呼ばれ、今も金の産地です。ダイヤモンドも産出します。金、ダイヤモンド、カカオに加え、2010年からは海底油田が稼働し、GDPは順調に伸びているようです。音楽に関して言えば、近年、欧米化が進んでいるようです。一般的に、GDPが上ると、大衆文化の欧米化が進む傾向があります。国際交流が進み、海外の文化が流入すると、人々は、豊かさの象徴である欧米の文化に憧れを持つようになるのでしょう。やむを得ないことではあります。ただ、ナショナリズムなくしてインターナショナリズムなし、という原則が忘れられがちであることは、誠に残念です。高齢ながらエボ・テイラーには、もうひとがんばりしてもらいたいと思います。(写真出典:amazon.co.jp)