2022年5月10日火曜日

桑名

旧東海道は、一カ所だけ、道が途切れます。宮宿、現在の名古屋市熱田から、桑名宿までの海路”七里の渡し”です。このあたりは、木曽三川と呼ばれる木曽川・長良川・揖斐川はじめ、多くの川の河口部があり、湿地帯が広がっています。陸路を取れば、相当、迂回する必要があります。時間短縮のために、4時間、27kmの海路がメインとなったわけです。もちろん、海が穏やかな日ばかりではありませんので、しばしば事故も発生する難所の一つとされていました。熱田神宮近くの宮宿、そして桑名宿の海岸には、当時を偲ばせる常夜灯などが復元されています。

三重県桑名市は、古くから東西の交通・物流の要所として栄えてきました。室町時代には、いわゆる”十楽の津”として、商人達が支配する自由都市になります。その後、一向一揆の拠点となったために、隣国尾張の織田信長に破壊されます。江戸期になると桑名藩の城下町として、そして東海道の主要宿場町として栄えました。また、濃尾平野・伊勢平野の米の集積地であったことから、江戸末期には、米相場が立ちました。明治以降は、後に国営化された関西鉄道、近鉄の前身伊勢電鉄など鉄路の拠点ともなります。ただ、中京の一大拠点としての名古屋が発展するとともに、桑名は歴史的役割を終えて、名古屋のベッドタウンになっていきます。

名古屋に近い港という利点もあって発展した桑名は、名古屋に近すぎたことで衰退したとも言えそうです。かつて栄えた町だけに、桑名名物は数々あります。ことに桑名鋳物は有名であり、川口と並ぶ鋳物産地とされます。その歴史は、17世紀初頭、鉄砲の鋳造に始まります。梵鐘の生産地として有名ですが、現在は、マンホールやグレーチングに強みを発揮しているようです。また、萬古焼といえば四日市ですが、実はもともとのルーツは桑名にあります。桑名の豪商であった沼波弄山が開いた窯から萬古焼は始まりました。陶器と磁器の中間的性質を持つ萬古は、急須、土鍋で有名です。現在、桑名萬古は、すっかり四日市萬古に取り込まれています。

「その手は桑名の焼き蛤」は、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に登場する名文句です。桑名と言えば、この言葉がすぐに出るほど、蛤の名産地として知られています。木曽三川がもたらす栄養で育った桑名の蛤は、肉厚でうまみが濃い絶品です。日本で流通するハマグリの90%が中国産、8%が朝鮮ハマグリ、残りわずか2%が桑名の大和蛤だと言います。桑名で蛤を堪能するなら、七里の渡跡に近い割烹「日の出」につきます。完全予約制のコース料理のみとなります。日の出に行くと、なぜか日本酒を飲み過ぎてしまいます。蛤と日本酒の関係はよく分かりませんが、少なくともその相乗効果は最強クラスです。毎回、経営者姉妹の姉の蛤講釈を聞かされます。もう何度も聞いたからいいよ、という言う人が多いのですが、私は、結構、好きです。

名店「歌行灯」で知られる桑名のうどんも有名です。安永餅も名物ですが、これは焼いたものがベストです。また、柿安の本店も桑名にあります。実は、ホルモンのレベルの高さも有名です。桑名の食文化は、歴史の厚みを感じさせます。日の出の近くには、日本一の山林王として知られた諸戸清六の邸宅「六華苑」があります。現在は、桑名市が管理・公開しています。1913年竣工の和洋折衷建築であり、国の重文・名勝にも指定されています。設計は、鹿鳴館や三菱一号館で有名なジョサイア・コンドルです。三菱お抱えだったコンドルの作品は、東京に集中しており、六華苑は、唯一の例外です。また、ナガシマリゾートも桑名市にあります。6割が名神高速を使って関西から来る客だと聞きます。桑名の地の利の良さを感じさせます。(写真出典:hamaguriittaku.com)

マクア渓谷