2022年5月11日水曜日

愛の不毛

Monica Vitti
”最も好きな映画監督”という話題は成立します。各個人の判断だからです。ただ、”最も優秀な映画監督”という話題や議論は成立しません。なぜなら、各監督の作風があり、統一された基準もないからです。最も多くの売上や観客動員数、あるいは最も多くの賞を獲得した監督という見方は成立します。ミケランジェロ・アントニオーニ監督は、世界三大映画賞すべてを獲得した二人の監督のうちの一人です。1961年「夜」でベルリンの金熊賞、64年「赤い砂漠」でヴェネツィアの金獅子賞、そして67年には「欲望」でカンヌのパルムドールを獲得しています。ちなみにアカデミー賞では、「欲望」で監督賞、94年には名誉賞を受けています。ミケランジェロ・アントニオーニを”最も優れた映画監督の一人”と言うことはできるのでしょう。

アントニオーニの映画は”映像による文学”だと思います。20世紀文学のテーマは疎外だと言われますが、アントニオーニの映画を見た後は、まさに現代文学を一冊読んだような気分になります。アントニオーニの映画は、孤独や不安をつきつめていく傾向があります。特に、「情事」(1960)、「夜」(1961)、「太陽はひとりぼっち」(1962)は、「愛の不毛三部作」と言われ、アントニオーニの代表作とされます。なお、「太陽はひとりぼっち 」の原題は”L'eclisse(日蝕)”です。邦題は、60年にアラン・ドロンの人気を決定づけた「太陽がいっぱい」の大ヒットにあやかって命名されています。余談ですが、「太陽がいっぱい」の原題は”Plein soleil(完全な太陽)”であり、お天道様は何でもお見通し、といった意味です。

私が初めて見たアントニオーニ作品は「欲望(原題:Blowup)」でした。ロンドンで撮影された英語作品です。見た瞬間に衝撃を受けたわけではありませんが、いつまでも、いつまでも強い印象が残りました。そんな映画は、他にあまりありません。当時、中学生だった私にとっては、娯楽映画以外の映画文法に初めて触れた作品だったと思います。音楽は、ハービー・ハンコックであり、劇中、主人公が迷い込むライブハウスでヤードバーズが演奏していたことでも知られます。当時のヤードバーズは、エリック・クラプトン退団後であり、リード・ギターがジェフ・ベック、サイドにジミー・ページという編成でした。アンプの調子が悪いことにいらだったジェフ・ベックが、アンプとギターを叩き壊すシーンが有名です。実は、これ、アントニオーニの演出でした。

私が最も好きなアントニオーニ作品は「夜」です。最もアントニオーニらしい映画だとも思っています。起承転結といったドラマは一切なく、隙間風の吹く中年夫婦の一日を、淡々と描きます。スケッチの積み重ねが、すれ違う心の動き、現代社会の矛盾、人間の孤独と不安、つまり”愛の不毛”を描き出していきます。夜通し行われる大富豪のパーティ・シーンは、現代社会、もっと言えば人間社会の縮図となっており、デカダンス、矛盾、人間の弱さ、愚かさといった全てが詰まっています。ただし、カメラは、それを責めるのでもなく、蔑むのでもなく、ごく客観的に捉えていきます。表情だけで、映画を成立させることができるジャンヌ・モローとマルチェロ・マスロヤン二の存在感が見事です。また、アントニオーニ映画のミューズとも言えるモニカ・ヴィッティは短めの出演ですが、ある意味、この映画を象徴する存在でした。

モニカ・ヴィッティは派手な顔立ちの人ではありますが、戦前までの美の基準からすれば、美人とは呼べないように思います。居るだけでアンニュイを漂わせる個性的な顔立ちが、現代社会そのものを象徴しているような女優だと思います。マリリン・モンロー、ブリジット・バルドーなども伝統的な美の基準の外にあり、品位ある美しさとは無縁の女優でした。ただ、彼女たちも、モニカ・ヴィッティと同様、現代社会を体現していました。モニカ・ヴィッティが、アントニオーニのミューズであり続けたことはよく理解できます。そして、他の監督作品で成功しなかったことも頷けます。2022年2月、モニカ・ヴィッティは、90歳で亡くなりました。(写真出典:cinesoku.net)

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