2022年5月9日月曜日

桃紅

篠田桃紅「燦」
昔の話ですが、アメリカの中西部でローカル便の飛行機に乗り、文庫本を読んでいました。すると隣の席のアメリカ人のおばさんが「その本は、タテに読むものなのか?タテに読んだ方が早く読めるのか?」と聞いてきました。縦書き、横書きの読みやすさなど考えたこともなかったので「タテでもヨコでも同じだと思う」と答えました。また、かつてアメリカの田舎で、日本のクレジット・カードを使って買い物し、漢字でサインすると、よく”Wow!"、あるいは”Beautiful”と言われました。漢字は、物珍しかっただけではなく、表意文字自体が不思議な存在であり、私の下手な字でも、現代アートのように見えたのかも知れません。

初台のオペラ・シティ・アートギャラリーで「篠田桃紅展」を見てきました。篠田桃紅は、1913年生まれ、2021年に107歳で亡くなるまで、前衛書道家として活躍しました。1956年からは、抽象表現主義のメッカとなっていたNYへ渡り、高い評価を得ます。ただ、アメリカの乾燥した空気と墨との相性が悪く、58年には帰国しています。帰国当時は、米国で評価された前衛芸術家としてもてはやされたようです。いわゆる時の人にはなったものの、作品が評価されることはなかったようです。しかし、それは、桃紅の問題というよりも、当時の前衛芸術が置かれた状況だったように思えます。もの珍しさだけで取り上げられ、理解者が広がることはなかったのでしょう。

前衛書道は、1940年、上田桑鳩、その弟子である宇野雪村等が立ち上げた”奎星会”に始まるとされます。古典をなぞることを旨としてきた書道ですが、前衛書道は、線や墨を用いた表現方法として登場します。さらに、文字からも離れ、自由に時空を創造するものとして、墨象と呼ばれることもあります。いわば言語から造形への展開です。墨が持つ奥深い造形の力は、水墨画の世界で実証済みです。そういう意味では、水墨抽象画と言ってもいいのかも知れません。ただ、線の持つ表現力へのこだわりこそが前衛書道の大きな特徴のように思えます。そういう意味では、前衛書道は、墨と線の画家ともいえる雪舟の現代的後継者といってもいいかも知れません。

とは言え、上田桑鳩や宇野雪村の作品は、やはり書道だと思います。桃紅は、よりグラフィカルな展開を見せます。抽象表現として、独自の世界を構成していると思います。1950年代のモダニズムの申し子のようにも思えます。私は好きですが、二次元的であること、グラフィック・デザイン的であることが、評価に影響しているように思えます。桃紅は、リトグラフ作品を多く残しています。刷り上がったリトグラフに一筆を加えるスタイルが多く見られます。筆で墨の濃淡を表現していなくても、墨と線という意味において、桃紅の墨象の一つの到達点なのではないかと思います。線の躍動感はあるものの、全体としては、墨が醸し出す静謐感が伝わります。最も桃紅らしいとも思えます。

ギャラリーでは、桃紅が関わった建築を紹介するビデオも上映されていました。丹下健三とコラボした電通旧本社や日南市文化センターなども収録していました。桃紅の作品は、高度成長期のモダンな建築によく使われています。また、海外からの賓客をもてなすホテルのスイートなどでも、和モダンを象徴する絵画としてよく使われています。私は、戦後のモダンな建築も大好きですが、桃紅の作品は、そこによくマッチします。やはり、桃紅は、戦後のモダニズムの象徴だと思います。(写真出典:gotokamiten.jp)

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