監督:ロベール・ブレッソン 1974年フランス
☆☆☆+
アーサー王ほど、よく知られていて、かつ、いまだにその実在が議論されている人もいないと思います。恐らく、アーサーは、6世紀頃に実在した武将の一人であり、ケルトの人たちによって、どんどん神格化され、伝説になっていったのだろうと想像できます。サクソン人に敗れたケルト人にとって、ケルト再興へ希望をつなぐ民族のシンボルが必要だったということなのでしょう。アーサー王の物語は、魔法使いマーリン、宝剣エクスキャリバー、妻グィネヴィアの不義、謀反を起こす甥モルドレッド、極楽の島アヴァロンといった基本的な構成要素に、円卓の騎士や聖杯伝説も加わり、壮大な物語が構成されています。ランスロット、仏語のランスロは、円卓の騎士の一員であり、アーサー王の妻グィネヴィアとの道ならぬ恋によって、騎士団の崩壊を招いたとされます。湖の精に育てられたことから”湖のランスロ(Lancelot Du Lac)”とも呼ばれます。ブレッソン監督は、アーサー王と騎士たちによる聖杯探索が失敗に終わったところから映画を始め、騎士団崩壊までのストーリーを描いています。そのこと自体が、ブレッソンの映画に対する姿勢を象徴しています。つまり、超自然的な要素満載の伝説としてではなく、極めてリアルな実在としての騎士たちを描いているわけです。ブレッソンは、自らの作品をシネマ(映画)ではなく、シネマトグラフと呼んでいたようです。
通常、シネマトグラフと言えば、映画を発明したリュミエール兄弟が製作した撮影・投影機器を指します。見世物としての芝居を撮るのではなく、現実を映像として記録するというスタンスをブレッソンは重視したのだと思われます。ブレッソンの映画は、素人を配役し、演技らしい演技をさせず、淡々と記録していくスタイルです。自然主義の塊のような人で、後のヌーヴェルヴァーグ、そして、いわゆる作家指向の監督たちに大きな影響を与えました。ブレッソンは、1950年代から、本作の製作を目指していたようですが、カラー技術や財政的問題から、実現が遅れに遅れたと聞きます。1962年には、裁判にだけ特化した「ジャンヌ・ダルク裁判」を撮っていますが、リアルな中世を描くためには騎士が必要だったのでしょう。
中世の象徴としての騎士のリアルな描き方は、細部にまでこだわりを見せています。例えば、全編を通じて、甲冑のガチャガチャという音が強調され、剣さばきはとてもスローになっています。日本の刀剣は切るために存在しますが、中世ヨーロッパの剣は、鉄製の甲冑を前提とするので、刺すことと叩くことが主たる機能でした。従って、剣はとても重く、ハリウッド映画のようには早く振れませんでした。また、映画は、騎士同士の戦いからスタートしますが、そのシーンの残忍さは、公開当時としては衝撃だったのだろうと思われます。また、ラストシーンは、内部抗争で倒れた甲冑の騎士たちの死体が累々と映し出されます。中世そのものを暗示しているのでしょう。
アーサー王への忠誠、そしてグィネヴィアとの恋の板挟みに悩むランスロの姿は、組織と個人という今日的、あるいは永遠のテーマでもあります。物語のなかでは、アーサーとランスロットは、騎士団を二分して戦いますが、仲裁によって、グィネヴィアは王のもとへ戻され、出家します。ランスロットは、仲間たちとフランスへ渡ります。後を追ったアーサーでしたが、故郷で息子が反乱を起したため、制圧のために帰国し、あえなく戦死します。ランスロットも出家しますが、グィネヴィアが死ぬと、自らも命を絶ちます。武芸に秀で、騎士道精神溢れるランスロットでしたが、恋に生きる道を選択した、と言うことができるのでしょう。(写真出典:natalie.mu)