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山下達郎”For You” |
そもそもシティ・ポップは、その定義すらはっきりしません。1970年代末から80年代にかけて続々と登場した、都会的で、おしゃれなポップスです。それまでのヨナ抜き音階中心の歌謡曲とは一線を画し、セブンス・コードはじめ当時としては珍しいコード進行が醸し出すメローなテイストが大人っぽさを感じさせたものです。という説明も、あいまいな印象になります。ニュー・ミュージックという言葉もありましたが、シティ・ポップは、そのなかでも特に大人びたサウンドでした。当時のヒット・チャートとは無縁で、TVの歌番組への出演などもありませんでした。日本のポップスの熱心なリスナーでなかった私ですら、日本の音楽のセンスが格段に良くなった、と感じました。
当時は、高度成長期を経て、二度のオイル・ショックは経験したものの、確実に豊かさを実感できる時代になっていました。為替も1ドル360円の固定制から変動制に変わり、円高基調となりました。それに伴い海外旅行ブームや海外ブランド・ブームも起きました。吹き荒れた学生運動も、70年安保が成立したことで、急速に下火になりました。若者たちは、反体制の象徴でもあった新宿から、サブ・カルチャーの街渋谷へと移っていきました。貧乏ったらしく汗臭いフォーク・ソングのブームは、ニュー・ミュージックへと変わっていきます。若者が車を持つ時代になり、ドライブに適した音楽というニーズも生まれました。そんな時代を象徴したのが「なんとなくクリスタル」でした。一橋大学に在学中の田中康夫が、1980年に発表し、大ヒットした小説です。ちょっとお高めのレストランやブランドがふんだんに登場し、ブランド小説とも呼ばれました。
シティ・ポップが注目されているのは、主にアメリカとインドネシアだそうです。また、英国中心に、欧州では、前から、山下達郎や大滝詠一等のファンが存在していました。欧州には、絶えずワールド・ミュージックを探索している人たちがいます。例えば、私がハマっている70年代西アフリカのファンクなど、欧州のマニアたちが発掘した音源ばかりです。海外でシティ・ポップがウケる理由は、そのノスタルジックな響きだと言います。同時代を生きた我々とは、まったく異なる観点です。例えて言えば、ウォン・カーウァイ監督が「欲望の翼」で使ったロス・インディオス・タバハラスの音楽です。哀愁に満ちたラテン音楽からノスタルジックな印象を受けました。それと同じなのだろうと思います。決して、アメリカ人が、シティ・ポップは都会的でおしゃれだ、と思っているわけではありません。
荒井由実の1976年のアルバム「十四番目の月」のなかに「天気雨」というポップな曲があります。シティ・ポップ的な曲というわけではありませんが、時代をよく表わしている曲だと思います。茅ヶ崎の伝説的サーフ・ショップ「ゴッデス」へ出かけるボーイフレンドについて行く女の子の歌です。トレンディな歌詞なわけですが、「きついズックのかかとふんで」という一説があります。恐らくデッキ・シューズのことだと思いますが、スニーカーとも呼ばず、まだ”ズック”の方がすんなりくる時代でもあったわけです。(写真出典:hmv.co.jp)