アムステルダムは、実に興味深い街だと思います。もともとは遠浅の海であり、13世紀に堤防を築き、干拓したことで、はじめて村ができ、港となり、世界に冠たる国家にまで至るわけです。よくヴェネツイアと比較されます。千年の繁栄を誇ったヴェネツイアは、潟に浮かぶ小島から始まっています。対してアムステルダムは、まったくの海から始まっています。何から何まで人工的に作られた街は、中世にあっては未来都市だったとも言えます。進化を制約する旧体制が存在しなかったことが、アムステルダムの政治・経済・文化すべての発展につながります。欧州が古代ローマ辺境の地から勃興し、米国が植民地から世界最強国になったのと同じ原理です。そのアムステルダムが、黄金期に生み出した天才がレンブラントです。
レンブラントは、光の魔術師とも呼ばれます。同じくオランダ・バロックを代表するフェルメールが、光と人物そのものを描いたのに対して、レンブラントは、光そのものではなく、濃い陰影を用いることで、人物の心情、物語の奥深さを表現したと言えます。それは、集団肖像画、宗教画であっても同じであり、ゆえにドラマチックな作風と言われるわけです。”夜警”こと「フランス・バニング・コック隊長の市警団」は、構図、人物描写、すべてが緻密に計算され、描き込まれてますが、最大の魅力は陰影が生み出す信じがたい程の奥行きだと思っています。それは、単に遠景を描いたという奥行きではなく、空間のリアルさゆえに生み出されています。人間が、絵画を使って生み出した空間としては、最高到達点の一つなのではないかとさえ思います。いつまでも、いつまでも、見ていたくなる傑作です。
レンブラントは、浪費家だったと言われます。自身は風車を使った製粉業者の子供ですが、裕福な家の娘と結婚したことで、豪華なアトリエを建設し、手当たり次第に美術工芸品や異国の民芸品を収集したと言います。妻が亡くなり、依頼人の意向を無視した肖像画は注文を減らし、英蘭戦争による不況も追い打ちをかけ、レンブラントは困窮します。それでも美術工芸品の収集は止めなかったと言われます。まさに浪費なのでしょうが、レンブラントの独特な技巧、画布・画材へのこだわり、あるいはエッチングの技術などを考えれば、単なる収集ではなく、新しい技巧を発想するための研究材料だったようにも思えます。ちなみに、コレクションのなかには日本の甲冑も含まれていたようですし、画布には日本の和紙も使ったようです。そういった点も含め、レンブラントは、まさにオランダ黄金時代の申し子だったと言えるかも知れません。
雲間から放射状に差し込む太陽の光は神々しいものです。絵画に描かれれば、実にドラマチックな効果を生み出します。何度も試して分かったことですが、この現象の名称をまともに答えられる日本人は、ほぼいません。日本語では”薄明光線”と言うのですが、あまり一般的ではありません。アメリカ人に聞くと、”Angel's Ladder(天使のはしご)”と、即座に答えが返ってきます。それは宗教画の影響なのだろうと思います。薄明光線は、よくレンブラントの絵に描かれていることから、”レンブラント光線”とも呼ばれます。個人的には、薄明光線よりも、レンブラント光線の方がしっくりくるように思います。この言葉が、広まり、定着するといいな、と思っています。(写真出典:ja.wikipedia.org)