毎年、梅の咲き始めを見ると、「梅は咲いたか、桜はまだかいな」という江戸端唄の一節が頭に浮かびます。梅も咲いたのだから、さっさと本格的な春が来て欲しいと思うわけです。ただ、端唄の続きは「柳ャなよなよ風次第 山吹ャ浮気で色ばかり」となっています。実は、この唄、春の情景を謡ったというものではなく、吉原遊郭のCMソングであり、その春バージョンといったところです。アサリ、ハマグリ、アワビの片思い、サザエは悋気で角ばかりと続き、最後はズバリ「柳橋から小船を急がせ 舟はゆらゆら波しだい 舟から上がって土手八丁 吉原へご案内」となります。春の花や磯の貝で遊女を思い起こさせ、春めいてきた吉原へ遊びにおいでよ、というわけです。日本橋界隈の若旦那たちが、この歌を口ずさみながら、いそいそと吉原へ急ぐ姿が思い浮かびます。
梅は、古来、様々な歌に詠まれてきましたが、なんと言っても菅原道真の「東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」が最も有名だと思われます。太宰府天満宮の御神木「飛梅」は、道真を慕って京の都から左遷先である太宰府まで飛んできたと言われます。太宰府天満宮へ行くと、必ず思い出す話があります。参道の太鼓橋を一緒に渡ったカップルは、必ず別れるという都市伝説です。九州大学の学生の間では有名な話だと聞きます。学問の神様である天神様を男女でお参りするなど不埒である、勉学に勤しめ、といった戒めなのでしょうか。梅の花見で混み合う境内を見ていると、あまり気にしている人はいないように思います。
関東三代梅園と言われるのが、水戸偕楽園、越生の梅林、曽我の梅林です。偕楽園は、日本三名園の一つでもあり、秋に訪れたことがあります。残念ながら、あまりに印象に残りませんでした。やはり梅の季節に行くべきところなのでしょう。私は、桜の名所や名木は見たいとは思いますが、あまり梅の花見に行こうとは思いません。桜と違って、群生している姿よりも、庭の枝振りの良い梅の方が風情があって良いと思います。また、私が北国育ちであることも関係しているかもしれません。北国の育ちの人間は、梅を見るために出かけるという習慣がないように思います。もちろん、北国にも梅園はありますが、関東ほど梅の開花は早くなく、すぐに桜が開花するので、梅を楽しむ文化が薄いのではないかと思います。
話は端唄に戻りますが、晩春に咲く山吹は、太田道灌の山吹の里伝説にあるとおり、実を付けないことから、結ばれることはない、いわばつれない遊女の例えなのでしょう。よく分からないのが、サザエの悋気です。サザエの角は、敵から身を守るためではなく、潮に流されないためにあるようです。一方、サザエの堅い蓋は、身を守るためにあるようです。さらに海水を閉じ込め、磯に打ち上げられた時にも数日間生きられるようになっているようです。この蓋を閉めるところが、金銭を貯め込むイメージとつながり、悋気となったのでしょうか。(写真出典:trenki.jp)