Goo Goo Cluster |
キャンディー・バーの発祥については、諸説あります。1900年にハーシーが発売した板チョコという説、あるいは、1910年、初めて個別包装されたカナダのギャノン・ブラザースの板チョコとする説もあります。ナッツ類などをチョコでコーティングしたコンビネーション・タイプの草分けは、1912年、ナッシュビルで発売された”Goo Goo Cluster”だとされます。マシュマロヌガー、キャラメル、ピーナッツをミルク・チョコで包んだキャンディー・バーです。1920年、個別包装化されたグー・グー・クラスターは、全米で販売され、現在も健在です。キャンディー・バーの歴史と個別包装機との関係は切っても切れない関係にあるようです。
この頃の庶民の食生活は、極めて貧しく、日に一食という家庭も珍しくなかったようです。大いにカロリー不足だった時代、わずか10セントで、結構なカロリーを摂取できるキャンディー・バーは大人気となり、全米各地で製造・販売されます。1950年代までに販売されたキャンディー・バーは、実に4万種類に及んだとも言われます。現在も、膨大な種類のキャンディー・バーが売られています。世界での売り上げとしては、マースの「スニッカーズ」、ハーシーの「リーシーズ・ピーナッツ・バター・カップス」、スイス発祥で三角形の「トブラローネ」、ネスレの「キットカット」、シカゴ発祥の「ダブ・チョコレート・バー」が上位の5種となります。以下、キャドバリー・デイリー・ミルク、トゥイックス、ミルカ、3マスケティアーズ等が続きます。
当然のことながら、携帯可能な高カロリー食品に、米軍も注目します。士気高揚の効果も高いとされ、1937年から、携帯非常食D号の一部として正式に採用されます。製造したのは、ハーシー社です。レーションD・バーは、第二次大戦中、耐熱性を高めたレシピ、毒ガスに耐える個別包装で製造され配給されました。敗戦直後の日本で「ギブ・ミー・チョコレート」と言って子供達がもらったチョコレートもこれです。レーションD・バーは大戦終結と共に、生産を終えますが、味を改善したトロピカル・バーは、その後も配給さています。さらに溶けにくいデザート・バーも開発されました。ハーシーの本社があるペンシルベニア州ハーシーには、同社経営のテーマ・パークやリゾート・ホテルがあります。そのギフト・ショップで、一般発売されていないデザート・バーを買って食べたことがあります。デザート(砂漠)でも溶けないというキャンディー・バーは、砂漠のような味でした。
世界中どこでも、砂糖は子供達の主な燃料です。燃料が切れれば、子供達はエンジンを停止し、眠ることになります。ただ、美味しいキャンディー・バーに囲まれて育つアメリカの子供達は、カロリー過剰なまま眠るので、結果、肥満体が増えます。近年は、カロリーを抑制したキャンディー・バーも多く販売されているようです。ただ、耐熱性を高めたり、カロリーを抑制したキャンディー・バーの味はイマイチになります。やはり、不健康なものほど美味い、という偉大な原則は、ここでも生きているわけです。(写真出典:en.wikipedia.org)