映画「白銀は招くよ!」 |
スキー、特にアルペン・スキーは、エッジングのスポーツです。要は、スキー板裏面の両端に付けられたエッジを、雪面に対して、どういう角度と加減で、かけていくかということです。エッジのかけ方次第で、曲がる角度とスピードをコントロールできます。まったくエッジをかけない状態(抜重)では、スキーの先端は、谷側に対して、確実にまっすぐ向かっていきます。そこで膝を使って右に体重をかけると、エッジがかかり、右回転を始めます。もちろん、体が覚えていた技術ではありますが、理屈を知ると、とても新鮮に思えました。それ以降、危険な滑降をすることはなくなり、むしろゲレンデで綺麗なシュプールを描く、いわばエレガント・スキーに勤しむことになりました。まんまと体育教師の術中にはまったわけですが、感謝しています。
冬期オリンピックは、いつも楽しみにしていますが、特に集中して見る中継は、エッジの戦いであるアルペン競技だけです。冬期オリンピックは、1924年、シャモニーで第1回が開催されています。ただ、アルペンスキーは、第4回のガルミッシュ=パルテンキルヒェン大会から種目に加えられています。スキー競技は、クロス・カントリーとジャンプのノルディックから始まりました。滑降と回転のアルペンは、20世紀に入って、山岳スキーから生まれた新しい競技です。ノルディックとアルペンでは、用具にも違いがあります。ノルディックのビンディングは踵が浮くようになっており、アルペンはスピードを求めて踵を固定します。戦後、アルペンは、スキー競技の花形になっていきます。スキー・リゾートが増えたことに加え、トニー・ザイラーが登場したことで、その人気は決定的になりました。
トニー・ザイラーは、オーストリアのアルペン・スキー選手です。チロル地方に育ったザイラーは、16歳で国際大会に優勝し、1956年、コルチナ・ダンペッツオで開催された冬期オリンピックで、滑降、回転、大回転で金メダルを獲得します。そのイケメンぶりから映画にも出演し、以降、俳優、歌手、ナショナル・チームの監督と、幅広く活躍しました。1959年の映画「白銀は招くよ!」(原題は「12人の娘と一人の男」)は、世界的ヒットとなり、ザイラー自身が歌った主題歌も大ヒットします。日本における戦後最初のスキー・ブームも、トニー・ザイラー人気が起爆剤となったものと思われます。当時のアルペンは、単なるスポーツに留まらず、高級感あふれるリゾート、おしゃれなスキー・ウェア、かっこいいスキー板や用具なども含めて、実に華やかな文化でした。子供心に、それが記憶に残り、私のアルペン好きにつながったのでしょう。
結局、高校のスキー部に入ることはありませんでした。中学3年の時、父親が滑降競技の観戦に連れて行ってくれました。初めて見るレースでは、時速100kmのスピードと迫力に圧倒されましたが、同時に、その雪面の厳しさにも驚かされました。それは、もはや雪面ではなく、氷そのものでした。多少、腕に覚えはあったものの、全面アイスバーンというコースで滑る勇気はありませんでした。冬期オリンピック北京大会のアルペンは、人工雪にマイナス20度という厳しいコース・コンディションで行われています。転倒も相次いでいます。大事故が発生しなければいいのですが。ちなみに、2026年大会は、 70年振りにミラノ/コルティナ・ダンペッツォで開催されます。一度行きましたが、その美しい山並みは印象に残りました。トニー・ザイラーが三冠を達成した地での開催は、見事な景色とともに、今から楽しみです。(写真出典:cinema.de)