サイゼリヤ1号店(2F) |
本八幡駅北口の商店街の一角に、ファミリー・レストランのサイゼリヤ第1号店があります。店としては、2000年に営業を終了していますが、経済同友会が、教育記念館として保存し、予約すれば、見学も可能です。サイゼリヤは、東京理科大学に在学中だった正垣泰彦が、1967年に開業しています。火事で店を焼失した後、これからはイタリア料理の時代が来ると確信した正垣は、1968年、サイゼリヤをイタリア料理店として再スタートします。ところが、客入りはさっぱり。当時、スパゲッティだけは妙に一般化していたものの、イタリア料理店は、高級、あるいは文化人向けといったイメージだったのでしょう。
正垣は、不振の要因を価格と判断し、全品7割引という奇策を打ちます。非常識、暴挙としか言いようがありません。ところが、これが大当たりし、店は行列店になります。低価格のイタリアンという路線に自信を持った正垣は、1973年、チェーン展開を始め、すかいらーく、ロイヤルホスト、デニーズに続くファミリー・レストランの草分けとなりました。現在、店舗数は1,553店、うち国内1,089店、海外464店まで成長しました。業界に先駆けて着手した海外展開は、2003年の上海に始まります。低価格路線は、中国でも人気を博し、順調に店舗を拡大しています。
日本のイタリア料理の歴史は、1881年、ピエトロ・ミリオーレが新潟に開いたイタリア軒に始まります。当時の洋食と言えばフランス料理のことであり、パスタだけは、フランス料理の一部として広がったようです。戦後、来日したイタリア人によるイタリア料理店が相次いで開店しますが、日本人によるイタリア料理店は、1960年、飯倉にキャンティがオープンするまで待たなければなりませんでした。バブル期にイタ飯ブームが起こり、イタリア料理は一般化したと言われます。ただ、既に70年代、高田馬場のリストランテ文流、荻窪のトラットリア・ピエモンテ等が一般化や大衆化に大きく寄与していました。そして、ファミレスとは言え、サイゼリヤが果たした役割は、とても大きかったと思います。
市川市発祥の大企業が、もう一つあります。山崎製パンです。日本最大にして、世界第2位の規模を誇る会社ですが、1948年、市川市で加工委託から製パン業を始めています。現在も、中央研究所やデイリーヤマザキの本社が置かれています。市川市は、梨の生産地でもありますが、基本的には住宅街であり、決してビジネスの町ではありません。市川市発祥の山崎製パン、サイゼリヤともに、食に関連した企業であったことは、ある意味、当然なのでしょう。(写真出典:1goten.jp)