監督:クリティアン・シュヴォホー 原題:Munich–The Edge of War 2021年英・独
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第二次世界大戦の1年前、1938年に行われたミュンヘン会談を巡るフィクションが原作です。オックスフォード大の同級生である英・独の青年官僚が、ヒトラーを阻止すべく、情熱的に動く、といった内容です。そつのない演出が緊張感を保ち、よく作りこまれた映像、キャストの演技も含めて、評価できると思います。ただ、問題は脚本です。 歴史的事実を散りばめたことで焦点がぼけ、かつ肝心なところではリアリティに欠けます。ヒトラーの東方生存圏構想と思われる議事録がキーとなっていますが、それは戦争直前の緊迫した外交を左右するほどのインパクトを持ちません。チェンバレン英国首相の宥和政策の再評価、そして青年官僚たちの情熱を描きたかったのでしょうが、実録っぽいストーリー展開や演出が仇になったように思えます。実録もの的なエンドロールは、拍子抜けのお笑いものです。ミュンヘン会談は、チェコスロバキアのズデーテンの帰属問題を巡る、ドイツ、英国、フランス、イタリア首脳による一連の会議を指します。ズデーテン地方は、もともとオーストリア=ハンガリー帝国の一部でしたが、第一次大戦後、チェコスロバキアの領土になります。ただ、ドイツ人の多い地方であり、分離独立運動が盛んに行われていました。ヒトラーは、これに介入、ズデーテンのドイツ編入を要求します。ヒトラーの真意は、チェコスロバキア全土をドイツの生存圏として併合することにありました。ヒトラーは、武力行使も辞さない強行姿勢で圧力をかけます。先の大戦から間もない時期であり、欧州列強は、平和を望む国民の声、準備不足気味の兵力を背景に、ギリギリまで平和的解決を模索します。結果、チェンバレンが主導したズデーテンのドイツへの割譲が合意され、戦争は回避されました。
しかし、ヒトラーは、協定を破り、半年後にはチェコ全土を併合します。ミュンヘン会議、あるいはチェンバレンの宥和政策は、ヒトラーを増長させ、第二次大戦を引き起こしたと批判されています。一方、第二次大戦開戦までの時間を稼いだことで、連合国側の戦争準備が進んだという評価もあります。ただ、チャーチルが批判するとおり、その間に、ヒトラーも戦力を増強したわけです。本作では、チェンバレンの平和主義を貫く姿勢が強調され、チェンバレン再評価が主眼なのかとも思えます。ミュンヘン会談時、チェンバレンは、ヒトラーと単独の不戦覚書を交わしますが、その背景に青年官僚がいたという筋書きになっています。ただ、その不戦覚書自体の評価が低いので、プロットとしては弱いものになっています。チェンバレンを演じたのは、アカデミー俳優のジェレミー・アイアンズですが、名演だと思います。
ちなみに、 チェンバレンの最大の懸念は、共産主義であり、 ヒトラーをソヴィエトへの盾にしようとした、 という説もあります。ただ、 映画では触れられていません。 また、 ドイツの青年官僚は、反ヒトラー・グループ“黒いオーケストラ”の一員のように描かれますが、組織の描き方が、浅く、安直であるために、まったく中途半端な印象になっています。もっとも、ソヴィエト要素も黒いオーケストラも、しっかり描けば、映画の焦点は、さらにボケることになったとは思います。ちなみに、黒いオーケストラは、国防軍のルートヴィヒ・ベック上級大将を中心に、軍人と官僚たちで組織されていました。実際に、ズデーテン出兵を機に、ヒトラーを逮捕する計画もありましたが、ミュンヘン会談が行われたことで、実行は見送られています。ベックは、1944年7月20日のヒトラー爆殺とクーデターが失敗に終わった際、逮捕され、自決を許されています。
黒いオーケストラが、ヒトラーを暗殺しようとした動機は、戦争遂行を巡る意見の対立でした。全体主義やユダヤ人迫害が、彼らの眼中になかったことは、よく知られています。戦後、 ドイツは、ホロコーストを前面に出すことで、他の戦争犯罪を逃れてきた、という批判があります。アメリカが、ドイツを対ソヴィエトの盾とするために、戦争犯罪追及よりも復興を優先したためとも言われます。本作のプロットにユダヤ人問題は一切関係しません。 ただ、取って付けたように迫害されたユダヤ人女性が登場します。 ドイツでは、ナチスを扱った映画を撮る際、必ずホロコーストに触れなければならないのかもしれません。(写真出典:blochbuster01.com)