W.チャーチル |
かつて、喫煙は”紳士の嗜み”と言われ、男性に関して言えば、吸わない人は希でした。また、世の中に、タバコの吸えない場所も希でした。会社では、自席でも、会議室でも吸い放題でした。多数が長時間に渡って会議を行えば、部屋は紫にかすむ程でした。当時を考えれば、タバコを吸わない人、タバコの嫌いな人にとっては、まさに地獄だったと思います。それが、完全に逆転したのが、ここ20年くらいのことでしょうか。いまや、喫煙者は、吸える場所を探して彷徨う流浪の民と化しました。喫煙によって肺がんの発生率が高まるという説が、喫煙環境の変化をもたらしたわけですが、その始まりは、1950年代のアメリカとも、イギリスとも言われます。
その頃から、アメリカでは、製造者責任を問う訴訟が始まっていたようです。ただ、肺がんとの因果関係が科学的に立証できない、かつ喫煙は個人が判断したリスクという論点から敗訴が続いたようです。恐らく、巨大なタバコ・メーカーの影響力も関係していたのでしょう。60年代後半には、タバコのパッケージへの警告文記載が義務づけられます。肺がんと特定するのではなく、肺がんも含めた健康へのリクスが強調されます。初期の警告文はマイルドなものでしたが、次第に厳しくなっていきます。国による違いも大きく、肺疾患の患部写真を載せる国もあります。肺が黒くなった写真は、分かりやすいのですが、やりすぎな面もあります。病気になった肺は、大体、黒くなるのだそうです。疾患と喫煙の因果関係が明らかでないまま、写真を使っているわけです。
嫌煙の動きを、社会的弾圧レベルへと引き上げたのは、80年代以降強まった「受動喫煙」という考え方でした。それまでは、喫煙者のオウン・リスクという理解でしたが、副流煙が周囲の人間に与える健康リスクが唱えられます。匂いが嫌だと言っていた嫌煙派は、喫煙者を殺人者と批判し始めます。それ以降の喫煙に対する規制は、もはや迫害、あるいはファッショを思わせるものとなっていきます。喫煙者は、アメリカ・インディアンや戦前の日本における共産主義者のような状況に置かれます。日本以外の先進国では、タバコは1箱千円以上し、屋内は一切禁煙、屋外は自由となります。日本は、1箱600円程度ですが、都会の場合、屋内外問わず、決められた場所でしか吸えません。狭い居留地に追い込められたネイティブ・アメリカンの気持ちがよく分かります。
喫煙が肺の健康を害することは理解できます。ただ、副流煙の影響は、ゼロとは言いませんが、どれほどのものか疑問ではあります。そうした反論も許されないような状況は、まさに全体主義的であり、多様性を否定する方向感を持ちます。それが怖いと思います。近年、タールを燃焼せず、煙も匂いも発生させない加熱式タバコが普及しています。言ってみれば、ただのニコチン吸引器です。タバコの香り、味はタールの燃焼がもたらします。そうした観点からは、加熱式はタバコとは呼べず、いっそのことニコチンの錠剤でも服用すればいい、とも思います。かつて、アメリカの禁酒法がそうだったように、”紳士の嗜み”への弾圧も、女性の社会的地位向上と相関しているのかもしれません。大好きな話があります。男勝りで知られるアルバート・ゴアの母親の発言です。喫煙者にキスするのは、汚れた灰皿にキスするようなものよ。否定しがたい名言だと思います。(写真出典:amazon.co.jp)