2022年1月20日木曜日

スカースデール

ウェストチェスター郡スカースデール村は、NYのベッドタウンです。マンハッタンの北30kmに位置し、メトロ・ノース鉄道のハーレム・ラインを利用すれば、グランド・セントラル駅から50分弱、直行運転なら30分強で着きます。 森の中に家が点在し、例えて言うなら軽井沢のような村です。かつてアメリカの中流を代表するとまで言われたスカースデールは、豊かなコミュニティです。中心を成すのは広い庭を持つ邸宅の数々であり、その周囲に、使用人たちが住んでいたと思われる家々が広がります。1987~1992年、我が家もスカースデールに住みましたが、最初の家は、恐らく村で一番小さな家でした。その後、広さも家賃も5割増しの家に越しましたが、それでも下の中くらいでした。

日本では、「一億総中流」と言われた時代でしたから、アメリカのミドル・クラスの定義の高さに驚いたものです。邸宅は、おおむね門から玄関が見えません。自宅の庭で、結婚式やガーデン・パーティが開かれていました。邸宅は、当時の価格で、1.5~2億円と聞きました。日本の不動産価格からすれば、それでも安いと思いました。ただ、購入後、購入額と同程度のランニング・コストが、毎年かかるとのことでした。少なくとも、数人の専属庭師とメイドは、絶対必要だと想像できます。著名人も、少なからず住んでいたようですが、坂本龍一・矢野顕子夫妻が越してきたことを覚えています。邸宅周辺の家々も、日本なら高級住宅クラスです。ニューイングランド様式の家が多かったのですが、外見以上に、屋内は広く、豪華なものでした。

スカースデールは、基本的に白人の村です。ただ、セキュリティの良さ、教育レベルの高さから、日本の駐在員たちの人気となり、当時、人口の1割が日本人という状況にまでなりました。口の悪いマンハッタンのタクシー運転手たちは、”JJタウン”と呼んでいました。 ジューイッシュとジャパニーズが多い町だというわけです。確かにユダヤ系は多く、ホリデー・シーズンになると、クリスマス・ツリーを飾る家に混じって、ハヌカーを祝う8本一体の燭台ハヌッキーヤを飾る家も多くありました。村営のスカースデール高校は、全米屈指の学力の高さを誇っていましたが、教育熱心なユダヤ系住民の貢献も大きかったのでしょう。日本人以外の有色人種としては、当時、インド人外交官の一家族だけ、住んでいました。

スカースデールを直訳すれば”傷の谷”ですが、岩の多い谷間といった感じなのでしょう。17世紀末に、ケイレブ・ヒースコートが、この土地を手に入れ、故郷だった英国中部の村、サットン・スカースデールにちなんで命名したとされます。アメリカ独立戦争では戦場にもなっており、今でも、掘れば銃弾などが出てきます。農地であったスカースデールが、大きく変貌するのは、1846年、ハーレム・ラインが敷設されてからです。鉄道でつながったことから、マンハッタンで働く人々のベッドタウンになっていきました。スカースデールは、1911年から、代表者たちで構成される委員会によって自治的に運営されています。いわゆる無党派民主主義であり、政治的であることを拒絶してるわけです。人口17,000人程度の裕福な村としては、至極まっとうな選択だと思います。

10年ほど前に、家族でスカースデールを再訪しました。まったくと言っていいほど、何も変わっていませんでした。ごく一部の商店が変わった程度です。かつて、スカースデールには、チェーン店の類いがほとんどなく、皆、個人商店でした。マクドナルドやコンビニは、隣村のものを利用します。ところが、駅舎の一画にスターバックスがオープンしていました。時代の流れですが、恐らくオープンに際しては、村民による是非を巡る議論があったものと想像できます。当時、スカースデールの家、マンション、公共施設は、すべて20世紀初頭に建てられたものばかりでした。これからも、スカースデールは変わることなく、中流の暮らしを維持していくのでしょう。(写真出典:ragette.com)

マクア渓谷