2022年1月16日日曜日

相撲茶屋

国技館茶屋通り
両国国技館で大相撲本場所が開かれると、前半1回、後半1回、観戦に出かけています。TV観戦で十分なのですが、館内のムードも含め、やはりライブには敵わないわけです。うち1回は、相撲協会によるネット販売を利用しています。先行抽選に参加するのですが、昨年から大相撲ファンクラブなるものが立ち上がり、その会員のための先行抽選の仕組みを利用しています。チケット代金は、額面どおりとなります。もう1回は、知人を介して、さる相撲茶屋(お茶屋)にチケットを用意してもらいます。お茶屋は、良い席を押さえていますので、さすがに、マスS席、悪くてもマスA席といった良い席を回してもらえます。

お茶屋でチケットを手配すると、国技館の入り口も一般とは異なります。木戸をくぐって左手に、通称茶屋通りと呼ばれる入り口があり、入るとズラリとお茶屋が並んでいます。担当のお茶屋に行くと、コートや傘など手回り品を預かってくれます。お土産は、この時点で受け取りますが、帰りしなに受け取ることもできます。出方と呼ばれるたっつき袴の若い衆が、席まで案内してくれ、お茶を準備してくれます。ここで、心付けを渡すのが作法です。また、その際、酒なども注文します。取組中、出方は、何度か顔を出し、追加の注文など受けます。全取組が終了すると、お茶屋通りは、客でごった返すことになります。一度、骨折治療中に相撲観戦をしたことがあります。席は、溜り席でした。溜りは、飲食禁止、手回り品も置けません。この時は、大いに出方に助けてもらいました。感謝です。なお、現在のコロナ禍で、全てのサービスが停止されています。

かつて、マス席は、お茶屋を通じて入手するしかありませんでした。チケット代にお土産や接待料も含め、ひとマス最低でも10万円以上という相場でした。つまり、一人当たり2.5~3万円程度かかったわけです。ツテとカネがなければ、マス席での観戦などできませんでした。現在は、マス席の7割方を茶屋が押さえ、残りを相撲協会がネット等で販売しているようです。ただ、コロナ禍で、お茶屋の割当分も、直接販売に回っているような気がします。不祥事に伴い、何度か相撲協会も近代化の取り組みを行ってきました。お茶屋の改革も、その一つであり、現在は、明朗会計になり、お土産もチョイス出来るようになっています。ただ、お茶屋を通じて席を確保した場合には、お土産を注文することが礼儀と言えます。正直なところ、お土産は、たまに相撲観戦する人、あるいは接待向けであり、常連には、さほどうれしいものでもありません。

お茶屋は、江戸の文化です。江戸期の芝居や相撲といった興業では、委託を受けたお茶屋がチケット販売を一手に引き受けていました。来場時には、お茶、酒、食事といったサービスも提供します。相撲では相撲茶屋、歌舞伎や浄瑠璃では芝居茶屋と呼ばれていました。今もお茶屋の制度を残しているのは大相撲だけとなりました。ちょんまげを結った力士、直垂・鳥帽子姿の行司、たっつき袴の呼び出しや出方も含め、国技館は、まさに江戸の街へタイム・スリップしたようなものです。現在、国技館のお茶屋は20軒あります。すべて国技館サービスという一つの会社に所属していますが、商売は、昔からの屋号そのままで続けています。お茶屋は、概ね親方衆の関係者によって経営されています。そういう意味では、各相撲部屋との結びつきも強く、ツテがないとチケットが入手できないという不透明感にもつながっていた面があります。

1932年、出羽海一門の全関取が、角界の体質改善を求めてストライキを行いました。当時、出羽海一門は、全関取の半数を占めており、まさに角界を揺るがす大事件だったわけです。いわゆる春秋園事件です。当時の相撲協会は、要求を拒否し、造反力士たちは、別団体を立ち上げ、興業も行いました。その際の要求は10項目に渡ります。協会会計の明朗化、チケット値下げによる大衆化、年寄制度廃止、夜間興業、力士の処遇改善など、もっともな内容でした。その一つに、相撲茶屋の撤廃も掲げられていました。戦後になって、改善された事項もあり、近代化されたものもありますが、角界は、概ね江戸期の姿を残しながら継続されています。時代が変化するなか、文化を継承することは難しいことだと思います。ただ、本質を守るために、あえて変化していくことも大事だと思います。(写真出典:buzz.plus.com)

マクア渓谷