エリオット・ネス |
禁酒法は、壮大な実験とも言われますが、端的に言えば、史上希に見るアホな法律だったと思います。取り締まりのために、財務省に捜査員、いわゆるGメンが1,500人配置されます。シカゴの大ボスだったアル・カポネを追い詰めた捜査員エリオット・ネスは、とりわけ有名です。彼の自伝「アンタッチャブル」がベストセラーとなり、Gメンたちはアンタッチャブルとも呼ばれました。ただ、捜査員数は少なく、全米をカバー出来るような体制ではありませんでした。結果、”スピーク・イージー”と呼ばれたもぐり酒場が倍増し、酒の密輸でギャングが大儲けし、ギャングの利権争いを中心に犯罪が増加しただけでした。1933年に至り、禁酒法撤廃を公約の一つに掲げたフランクリン・デラノ・ルーズベルトが大統領に就任し、ついに悪法は撤廃されました。
そもそも酒を所持し、飲むことは禁じていないという曖昧さにも問題があります。個人の在庫まで取り締まれないということだったのでしょうか。供給サイドを完全にコントロール可能というのなら、禁酒法施行も理解できます。ただ、広いアメリカを隅々まで、あるいは長い国境線を隈なく取り締まる体制を作ろうとすれば、天文学的規模の財源が必要になります。恐らく議会も、そのことは十分に理解していたはずです。あるいは、財務省の捜査員数からして、はじめから取り締まる気がなかったとも言えます。禁酒法は、政治的思惑の産物であり、その中途半端さが、大きな弊害だけを生むという悪法の典型だったと思います。そもそも個人の嗜好を法で禁じ、公平性確保のために取り締まるなど、無理筋とも思えます。
禁酒運動は、17世紀から存在したようですが、大きな盛り上がりを見せるのは、南北戦争後でした。敬虔なプロテスタントたちが、主に南部諸州、そして女性信者を中心に運動を展開します。1910年代は、各州において女性参政権が認められていく時代でもありました。政治家たちも、宗教票、女性票を意識せざるを得なかったわけです。また、第一次大戦で、ドイツは悪だという認識が広がり、ドイツ系が大半を占めるビール会社も風評被害を受けます。そのような状況を背景に、禁酒法に対抗すべきアルコール業界もまとまることがなかったと言います。さらに第一次大戦の影響から、鉱工業の生産性向上が大きな課題となります。泥酔する工員が、生産性向上を阻害するとされ、そうした面からもアルコールは批判されたようです。
政治家たちの票読みの結果として、禁酒法は成立してしまった、というところなのでしょう。ちなみに、時の大統領ウッドロウ・ウィルソンは、拒否権を発動していますが、議会が成立させてしまいます。こうして、実効性に関わる議論が不十分なまま、禁酒法はスタートしたわけです。第一次大戦後、世界の最強国に躍り出たアメリカは、好況を背景に、ローリング・トゥウェンティーズ、あるいはジャズ・エイジと呼ばれる浮かれに浮かれた時代を迎えます。その時代をよく現わしているのが”フラッパーズ”でした。短いスカートをはき、強い酒を飲み、ダンスに明け暮れる奔放な女性たちです。禁酒法を推進した女性たちと好対照ですが、いずれにしても女性の時代、あるいは女性が解放された時代だったのでしょう。(写真出典:nytimes.com)