2021年12月17日金曜日

道行

曽根崎心中
日本の古典芸能で多用される「道行(みちゆき)」という場の設定は、なかなか興味深いものがあります。 読んで字のごとく、道行という場面は、旅の様子を描くわけですが、ドラマを展開させるのではなく、登場人物の内面を旅路とともに表現していきます。道中の地名、名物、名産などを、登場人物の心情にかけながら織り込み、七五調で語ります。作者の腕の見せ所でもあります。文学上では、記紀や万葉集に原型が見られ、平家物語や太平記で形を成したようです。それが、各種芸能へと取り込まれていったわけです。

浄瑠璃では、必ず道行の場が設定されますが、華やかな道行と心中物の道行という二つの流れがあります。例えば、仮名手本忠臣蔵の八段目「道行旅路の嫁入」などは、華やか道行の代表格だと思います。加古川本蔵の娘・小浪は、許嫁・大星力弥との婚礼が、お家断絶のあおりを受けて沙汰止みとなったことを悲しみます。見るに見かねた本蔵の妻・戸無瀬は、娘を力弥に嫁がせるべく、供も連れず、二人だけで鎌倉から山科を目指します。不安に期待が勝り、小浪はウキウキと旅を続けます。5人の太夫、5棹の三味線に鐘や太鼓も加わり、小浪の艶やかな旅衣装、切り替わる背景、遠くに見える大名行列などと相まって、華やかな舞台となります。悲劇的なストーリーのなかで、華やぐ娘心が、痛ましくもあります。

一方、近松門左衛門の「曾根崎心中」の道行は、浄瑠璃を代表する段でもあります。初の心中物であり、初の世話物として知られる曾根崎心中は、実際に起きた心中を題材としています。「此の世のなごり。夜もなごり。死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜」で始まる道行は、近松門左衛門の傑作として知られます。世の理不尽さに、死んで結ばれるしかなかったはつと徳兵衛の心情は、セリフでも芝居でも伝えることに限界があり、景事、歌舞伎では所作事と呼ばれる歌と踊りだけで構成される手法が、最も適していると思われます。心中の現場となった曾根崎の露天神社は、今も「お初天神」の名で知られます。曾根崎界隈で宴会があった際、お参りしたことがあります。夕暮れ時のお初天神には、参拝客が絶えず、人気の高さを示していました。

現代では、一家心中や無理心中のニュースはあっても、いわゆる情死という話を聞くことはありません。江戸期には、情死が頻発し、いわばブームの様相もあったようです。幕府は、情死を厳しく禁止し、心中物の小説や演劇を禁じていた時期もあるようです。多くの場合、女性は遊女であり、叶わぬ恋路を心中で成就するという美学でもあり、あるいは純愛を通して心中した男女は、来世で結ばれると信じられてもいたようです。曽根崎心中も「未来成仏うたがひなき恋の手本となりにけり」と結びます。多くの心中は、遊郭も含めて封建的な社会制度がゆえの悲劇だったと考えられます。

道行の景事によく似た手法は、映画でも使われます。クロード・ルルーシュ監督の「男と女」が草分けではないかと思います。フレンシス・レイの音楽とルルーシュの映像だけ構成された叙情的なシーンが、効果的に使われていました。“こんな手があったか”とばかりに、以降の映画に大きな影響を与えました。ルルーシュは、初期のヴィデオ・クリップを撮っていたので、この発想が自然と生まれたのでしょう。決して、浄瑠璃や歌舞伎を参考にしたわけではないと思います。それにしても、300年前、近松松門左衛門が、この手法を確立していたことを知ったら、ルルーシュも驚いたことでしょう。(写真出典:carinay.exblog.jp)

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