2021年11月16日火曜日

酉の市

浅草酉の市
東陽町にある子会社を担当した際、深川に所在する会社が、熊手の一つも飾っていないのは、如何なものかと思い、同僚何人かを誘って、富岡八幡宮の酉の市に出かけました。富岡八幡の酉の市は、さほど規模の大きなものではありませんが、大賑わいでした。派手に飾り付けられた大小の熊手が並ぶ様は、見事なものでした。縁起物とは言え、お値段も、実に見事なものでした。会社の経費が使えるわけでもなく、自腹で買わざるを得なかったので、小ぶりなものを選びました。毎年、大きなものに買い換えていく代物だから、初めは小ぶりでいいんだとも聞きました。

購入したい熊手が決まると、値段交渉が始まります。粋な交渉などできませんが、値引きしてもらった金額は、ご祝儀として渡すという粋な習慣は守りました。ま、結局、言い値どおりに買ったのと同じです。交渉が成立すると、その場で、会社名を木札に書いて熊手に挿してくれます。それを待つ間、一同に日本酒が振る舞われます。いよいよ熊手が渡されると、酉の市名物の威勢のいい手締めが行われます。これが年末の下町らしい、とてもいい風情なわけです。買った熊手は、福を逃がさぬよう、やや前かがみに持って、境内を後にします。その後、近所の居酒屋に上がり込み、熊手を上座に据えて、宴会を行ったことは言うまでもありません。

酉の市は、もともと鷲や鳥にちなむ寺社の行事であり、関東に特有と聞きます。足立区花畑の大鷲神社の秋祭りが酉の市の起源とされています。秋祭りは、収穫祭であり、境内には農機具の市が立っていたようです。農機具を買うと、おかめの面などの縁起物がおまけに付いたものだそうです。どうも縁起熊手の起源は、このあたりにあるようです。農村部で始まった酉の市は、次第に江戸市中の寺社に広がり、熊手は商売繁盛の縁起物へと変わっていったようです。浅草の鷲神社に伝わるところでは、東征に成功した日本武尊が、戦勝のお礼参りをしたのが11月の酉の日であり、その際、神社前の松に熊手を立て掛けたことから、酉の市と縁起熊手が始まったとされているようです。いかにも後付け話といったところです。なお、日蓮聖人起源説もあります。

三大酉の市と言えば、浅草の鷲神社、新宿の花園神社、府中の大國魂神社です。いずれも江戸後期から盛んになったようです。商売繁盛を願うという意味では、酉の市と共にえびす講が有名です。えびす講は、全国にあるようですが、最も盛んなのは関西です。特に大阪の今宮戎神社、通称えべっさんの十日えびすは、福笹と「商売繁盛で笹もってこい」という囃子で有名です。笹は、まっすぐ育ち、折れない弾力があり、常に青々していることから商売繁盛の象徴となったようです。対して、関東の熊手は、鷲の爪のように福をつかんで放さない、あるいは福を掃き込む、という意味があるようです。多少、関東の方が、えげつない印象です。

日本で一番社の多い神社は、お稲荷さんだと言われます。京都の伏見稲荷大社を総本宮とする稲荷神社は、もともと五穀豊穣の神様でしたが、いつの頃からか、商売繁盛の神様になります。昔、大きな商家なら、皆、分祀したお稲荷さんの社を敷地内に持っていたものです。それが、そのまま街のお稲荷さんとして残り、お社が多くなったのだと思われます。商家の信仰はお稲荷さんが中心です。対して酉の市の熊手は縁起物ということになります。思えば、日本は、縁起物大国とも言えそうです。だるま、七福神、招き猫等々、数え上げたらキリがありません。ただ、なんとなく商売に関わる縁起物が多いようにも思います。(写真出典:4travel.jp)

マクア渓谷