2021年11月15日月曜日

正倉院展

平螺鈿背円鏡
十数年前のことですが、京都出張の際、偶然、ホテルで名古屋のお客さまに会いました。立ち話をすると、「週末から正倉院展が始まる。せっかくだから見て行きなさい」と言われました。折良く金曜は奈良で仕事があり、土曜は帰京するだけという日程だったので、初めての正倉院展に行くことにしました。展覧会は、切符売り場で大行列が発生するものですから、前売り券も買い、当日の朝は、開場40分前に国立奈良博物館に行きました。驚きました。既に1,000人を超える行列が出来ていました。

毎年秋に開催される正倉院展は、整理済みの宝物9.000点のうち、毎回70点だけが公開されます。主な宝物だけでも、すべてを見るためには、毎年通う必要があり、かつ会期が2週間と短いこともあって、いつも大混雑です。もっと大々的に、長期間、かつ東京で開催すればいいとも思いますが、実はそうもいきません。1,300年近くを経た天平の宝物は、平生、適切に管理された温度・湿度のもと保管されています。それを展示すること自体がリスクであり、所管する宮内庁としては、正倉院展などやりたくないはずです。展示の準備だけでも、慎重なうえにも慎重を重ねて行うので、1ヶ月以上かかると聞きます。従って、開催地は奈良に限定され、点数も少なく、会期も短くせざるを得ないわけです。もっとも、5年に一度は、東京でも、ごく一部が公開されています。

正倉院は、756年,聖武天皇の四十九日の法要にあたり,光明皇后が、宝物600数十点、薬物60種を東大寺の大仏に奉献したことが始まりとされます。その後も、光明皇后の奉献や東大寺の宝物等が加えられていきます。建物は、何度も補強されているものの、奇跡的に大火や戦火を免れてきました。古代の文物と言えば、多くは掘り起こされた出土品となりますが、正倉院の宝物は、世界的にも希な倉庫保管の伝世品です。宝物は、唐から伝来したもの、あるいは唐から伝来した技術を用いて国内で制作されたもの、そして文書類ということになります。唐伝来の文物は、さらに西方、インド・イラン、ギリシャ・ローマ、そしてエジプト起源のものも多く含まれます。正倉院は、”シルクロードの終着点”とも呼ばれます。まさに、古代のダイナミックな交易のあり様を、如実に語っていると言えます。

よく知られた宝物の一つが”平螺鈿背円鏡”です。鏡の背面に、花弁紋様の螺鈿細工が施された美しい鏡です。その細かく美しい加工技術にも驚かれますが、その材料には、さらに驚かされます。花弁は、東南アジア産の夜光貝であり、花芯、そして花弁の一部にはミャンマー産の琥珀が埋め込まれています。花弁の間には、イラン産のトルコ石やアフガニスタン産のラピスラズリを砕いたものが敷き詰められています。世界は、中央アジアを中心に回っており、東西の両端に唐とローマが栄えたという構図が浮かび上がります。平螺鈿背円鏡は、鎌倉時代に盗難にあい、破壊されたものが多く、現存するものは1面を除き修復されたものと聞きます。ただ、それにしても世界史観を証明するかのような宝物が、今日まで保管されてきたことに感銘を受けます。

それが実現した大きな要因は、もちろん、正倉院が、天災や火災を奇跡的に免れてきたということでもありますが、やはり天皇家が、古代から一度たりとも変わること無く、君主として日本の中心に存続し続けてきたことだと思います。天皇家は、現存する世界の王朝のなかでは最長を誇ります。天皇家の氏神を祀る伊勢神宮の式年遷宮は、7世紀から20年毎に行われてきました。単に社を移すだけではなく、膨大な数の御物の全ても、新しいものに変えられます。それが、伝統工芸に関わる技術と技術者を、連綿と守ってきたと言われます。延々と続けられてきた正倉院の宝物のメンテナンスも、まったく同様の効果をもたらしてきたのでしょう。正倉院の宝物は、伝世品という以上に、生きた宝物であり続けたことが、世界的文化遺産としての価値なのだと思います。(写真出典:shosoin.kunaicho.go.jp)

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