随分と無謀な話ですが、彼女の明るい性格、前向きな姿勢に、皆、感銘を受けました。彼女は、就労ヴィザを持っていないので、美容室の一席だけを借りて、もぐりの床屋をやっていました。以降、仲間たちと、散髪はAちゃんにやってもらうことで、彼女を支援することにしました。2~3年くらい、彼女のもぐり床屋に通い、私は、NYを離任しました。それから20年ばかり経って、私は、国際会議に出席するため、シンガポールへ出張することになりました。出発の1週間くらい前、丸の内の交差点で、偶然、NYで一緒だった後輩に会いました。彼は、NYの後、シンガポール駐在員も経験していたので、そういえば、来週、シンガポールに行くよと、と伝え、少しばかりシンガポールの話をしました。
すると、彼が、NYのAちゃん、覚えていますか、と言うのです。もちろん、覚えていました。彼女、結婚して、今、シンガポールで美容室をやっていますよ、と言うわけです。懐かしさもあり、ゆとりのある日程でもあったので、現地の駐在員に、美容室を探してもらうことにしました。雲を掴むような話ですが、彼女の性格からして、店名に自分の名前を入れているはずだから、と伝えると、一発で見つかりました。駐在員にお願いし、繁華街にある彼女の店へ行ってもらいました。会社名を告げると、即座に私の名前が出たようです。それがうれしかったので、彼女の中国系シンガポール人のご主人、駐在員も交え、4人で食事することにしました。
食事しながら聞いた彼女とご主人の人生は、実に驚くべきものでした。ご主人の父親は、シンガポールの都市計画の責任者であり、息子に同じ道を歩ませたいとNYで都市工学を学ばせていました。そんなご主人と知り合ったAちゃんは、彼の助けで就労ヴィザも取得し、小さな美容室を始めます。彼女の腕の確かさと明るい性格で、アッという間に店は繁盛店になります。まったく経営にうといAちゃんを見かねて、ご主人は学業を放りだし、経営を手伝います。シンガポールへ帰ってこい、という親の話も聞かず、二人は努力を重ね、ついに五番街に大きな店を開くまでになり、二人は結婚します。まさにアメリカン・ドリームそのものです。
ところが、ご主人の両親が介護状態になります。二人は、五番街の店を整理し、シンガポールへ戻って両親の介護を行うという判断をします。苦労して築き上げた繁盛店を閉めるということは、なかなか出来る判断ではありません。Aちゃんは「彼がいなければ私の店は存在しませんでした。今度は、私が彼を助ける番だと思いました」と言っていました。聞いていて、思わず涙がこぼれました。店をたたんだ二人は、世界中を旅し、覚悟を決めた後に介護生活に入りました。その後、しばらくして、介護も一段落した頃、Aちゃんは、紹介予約限定の一席だけの美容室を始めたと言います。店は、再び繁盛しているようでしたが、店を大きくするつもりはない、とも言っていました。二人が歩んだ人生の旅路に感銘を受けました。まさに明るく前向きなAちゃんの性格が生んだ大きな旅だったと思いました。(写真出典:goo.ne.jp)