発見した人は、儀保松三という人であり、金武のキャンプ・ハンセン前で、「パーラー千里」を経営していました。ちなみに、”パーラー”は、フランス語の”話をする所”が語源であり、ケーキやドリンクを出す洋風な店といったイメージですが、沖縄では、惣菜の販売なども行う軽食堂を指すそうです。界隈では後発だったこともあり、何か特色のあるメニューが必要だと考えた儀保は、若い米軍兵士のために、安くて腹一杯になるタコライスを思いつきます。1984年のことでした。タコライスは瞬く間に評判となり、儀保は、タコライス専門のチェーン店「キングタコ」を開業します。金武のタコライスは、沖縄中に広がり、新しい沖縄名物になりました。
一方、本州のタコライスと言えば、たこの炊き込みご飯である”たこ飯”ということになります。日本人は、大昔からたこを食べていました。たこ飯も、古くから漁師飯として存在していたようです。発祥は、瀬戸内とも三河湾とも言われますが、たこの水揚げが多い全国各地で、漁師が食べていたのでしょう。ただ、あまり一般的なもの、あるいは名物料理ということではなかったようです。例えば、農水省がたこ飯を郷土料理と認定しているのは愛媛県と三重県ですが、松山出身の友人に聞けば、昔はたこ飯など食べたことも、聞いたことも無かったと言います。愛媛と言えば、東予、南予の鯛飯が有名ですが、たこ飯は漁師だけが食べていたのかも知れません。また、全国的に見れば、たこ自体が、決して高級食材でもなく、各地で獲れることから、特別、郷土料理とは見なされていなかったのかも知れません。
1939年に宮内庁が「日本五大銘飯」なるものを発表しています。東京の“深川めし”、埼玉の”忠七めし”、岐阜の”さよりめし”、大阪の”かやくめし”、島根の”うずめめし”が挙げられています。伊予の鯛飯や沖縄のジューシーが入っていないのは、やや意外な感じもします。対して、たこ飯が入っていないのは、当然のような気がします。たこ飯が、知名度を増したのは、近年のことだと思われます。地方の時代が標榜され、旅行先が特定の観光地から津々浦々へと広がり、地元特産品のマーケティングが盛んになるにつれ、たこ飯も知られるようになったものと思われます。また、レトルトのご当地カレーが増えたのと同様、炊き込みご飯の素が普及したことも背景にあるのかも知れません。
調理の仕方次第ですが、ほぼどんな食材でも、ご飯に乗せて食べることができると思います。炊き込みご飯も、まったく同様のことが言えます。最近、SNSで、意外な炊き込みご飯がバズっているようです。柿ピーご飯、ポテチご飯、フライドチキンご飯、餃子ご飯、果ては赤飯もどきのあづきアイスご飯まであるようです。それなりに美味しいのかもしれませんが、正直、やってみようとは思いません。ただ、こうして日本の食文化は多様化を遂げてきたんだろうな、とも思います。大学生の頃、超変人の先輩が、インスタント・コーヒーをご飯にかけて食べていました。見ていて気持ちが悪くなりました。是非とも、まともな多様化を遂げていくことを期待したいものです。(写真出典:park.ajinomoto.co.jp)