2021年11月10日水曜日

アポロンの地獄

Pier Paolo Pasolini
中学生の頃、剣道部に所属しており、毎週日曜日には朝稽古がありました。稽古が終わると、仲のいい連中と連れだって、焼きそばを食べ、三本立てのセカンド映画館に繰り出します。毎週、マカロニ・ウェスタン、スパイ・アクション、その他という構成でした。その他には、雑多なタイプの映画が上映されます。そこで最も衝撃を受けた作品の一つが、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の「アポロンの地獄」でした。ギリシャ悲劇の最高傑作であるソポクレスの「オイディプス王」が原作でした。初めて触れたギリシャ悲劇の凄まじさに驚き、パゾリーニの見たこともない映画表現に度肝を抜かれました。

 ピエル・パオロ・パゾリーニは、映画を撮るばかりではなく、小説家、詩人、劇作家としても名を成した人です。共産主義者としても知られています。1950年、28歳でローマに出て、映画の脚本を書きながら、55年、ローマの貧しい若者たちを描いた処女小説「生命ある若者」を発表しますが、過激な表現ゆえ発禁処分を受けています。57年には詩集「グラムシの遺骸」が高く評価され、フェリー二の「カビリアの夜」に共同脚本家として参加しています。61年には長編処女作「アッカトーネ」を監督し、64年のイエス・キリストの生涯を描いた「奇跡の丘」では、ヴェネツィア映画祭で審査員賞を獲得しています。そして67年、「アポロンの地獄」(原題Edipo Re、オイディプス王)を発表します。

渇いた映像、抑えたセリフ、アートな衣装、日本の神楽等を取り込んだ音楽等、斬新で自然主義的な映画は、問題作として扱われます。ソポクレスの原作に忠実ながら、映画は、パゾリーニの故郷である現代のボローニャに始まり、終わります。本作は、ソポクレスを借りたパゾリーニ自身の物語とも言われています。父を殺し、母と交わり、子をもうけるというストーリーから、フロイトは、幼児期の母親への願望と父親への対抗を「エディプス・コンプレックス」と名付けます。パゾリーニの父は、著名なファシストの軍人であり、不在がちでした。パゾリーニは、芸術家気質の母親に育てられ、母親とともに暮らし続けています。パゾリーニは、本作で自らの内面をさらけ出したとも言えるのでしょう。

オイディプス王の母親にして妻のイオカステを演じたのは、シルヴァーナ・マンガーノでした。いわゆるグラマー女優として知られますが、後年、パゾリーニやヴィスコンティ作品で重厚な役をこなします。パゾリーニは、69年にエウリピデス原作の「王女メディア」を撮りますが、主演にはマリア・カラスを起用しています。著名な女優や歌手の従来のイメージを壊すことで、斬新な映像を実現するとともに、反体制的なメッセージを伝えたかったのでしょう。一連の自然主義的映画が問題作として扱われたパゾリーニは、孤立感を強めたと言われます。70年代に入ると、商業主義的な要素を取り込んだデカメロン・カンタベリー物語・アラビアンナイトという「生の三部作」を撮り、高い評価を得ています。

1975年、パゾリーニは、イタリアのネオ・ファシズム的風潮を痛烈に批判した「ソドムの市」を撮った直後、殺されます。映画に出演した17歳の少年が、パゾリーニに性的虐待を受けたために殺害した、と自首します。少年による単独犯行は困難との見方があったものの、事件の捜査は打ち切られます。2005年に至り、少年は自白を撤回、パゾリーニを殺害したのは、ネオ・ファシストたちであり、自分は脅されて自白した、と告白します。オイディプス王は、父親を殺しますが、パゾリーニは、ある意味、父親に殺されたと言えるかも知れません。近年、パゾリーニを語る人も少なくなりましたが、パゾリーニは、映画の新たな地平線を切り開いた人だと思います。その地平線からは、多くの傑作が生まれているように思います。(写真出典:ja.wikipedia.org)

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