2021年10月16日土曜日

下山事件

下山定則
下山事件は、占領下の1949年7月、国鉄総裁の下山定則が失踪、轢死体で発見された事件です。同月、無人列車が暴走・脱線し6名が死亡した三鷹事件、翌月、走行中の列車が妨害によって脱線し3名が死亡した松川事件と合わせ、国鉄三大ミステリーと呼ばれます。当時、外地からの帰還者で人員過多だった国鉄は、人員削減せざるを得ず、猛反発する労働組合と激しく対立していました。また、中国で共産党政権樹立が確実となり、GHQによる日本の占領政策は、民主化から反共へとシフトします。GHQは、日本社会から右翼を根絶すべく、労組や左翼をも利用していましたが、政策は真逆の方向へと転換されました。

下山事件は、当初から、自殺説をとる警視庁捜査一課や毎日新聞、他殺説をとる捜査二課と朝日新聞という対立構図の中で激論が交わされます。いずれの説も決め手に欠けたままでしたが、警視庁は、同年中に捜査を終了します。翌年、自殺説に立った警視庁の報告書が、リークという形で明らかになっています。以来、現在に至るまで、戦後最大の謎として、研究・分析が行われ、多数の書籍も出版されています。とりわけ有名なのが松本清張の「日本の黒い霧事件」です。松本清張は、独自の分析から、GHQ謀略説を唱えています。民主化から反共へと政策を転換したGHQ内部では、容共民主化政策を進めた民政局と反共拠点化を急ぐ参謀第2部との対立が激化していました。参謀第2部は、労組に濡れ衣を着せるつもりで下山を謀殺しますが、民政局を警戒して、自殺・他殺両面のシナリオを準備していました。他殺説に、GHQの関与が浮上しそうになったので、自殺説で幕引きを図ったという説です。

自殺説では、説明のつかない証拠が多すぎます。例えば、自殺直前に3時間休憩した旅館では、煙草好きの下山が1本も吸っていないこと。これは自殺を偽装する替え玉説の根拠となります。東大古畑教授による有名な死後轢断裁定。殺害された後、線路に置かれた可能性を示唆します。スーツではなく、下着にだけヌカ油が大量に付着していたこと。これは替え玉用にスーツを脱がされた後、監禁場所か移動の際に付いたものと想定できます。多数の血痕が、列車の進行方向に数百メートル発見されていること。殺害後に運ばれてきたを示すと思われます。靴に、いつもとは異なるメーカーの異なる色のクリームが塗られていたこと、等々があげられます。松本清張の推理で秀逸なのは、失踪直前の下山の不可解な行動の解釈です。詳細は省きますが、下山は偽装された情報提供者との接触を試みていたという推理は、実に納得性が高いと思います。

これだけ自殺を否定する証拠がありながら、強引に捜査を終了させた警視庁には、捜査上の制約と相当の圧力があったとしか思えません。報告書をリークという形で公表したのは、警視庁のせめてもの抵抗だったかも知れません。実行と隠蔽工作には、それなりの人数が関わっていると思われます。これほど時間が経てば、いかに巧妙にカバーアップされたとしても、綻びも生じ、口を割る関係者が出てきてもよさそうなものです。しかし、それは起こっていません。実行に際しては、分断された複数のチームが、個々のパートだけを担当したのだと思われます。しかも関係者は、既に殺されたか、朝鮮戦争の最前線に送り込まれて戦死したか、あるいは脅迫されていたのでしょう。今の日本では信じがたい話ですが、占領下、GHQが絶大な権限を持ち、参謀第2部のスパイ網が全国に張り巡らされていた時代を思えば、十分にあり得る話です。また、その後、何らかの文書が発見されるようなこともありませんでした。なぜなら、既に日本には存在しなかったからなのでしょう。

いかにGHQといえども、労組排除のためだけに、初代国鉄総裁を謀殺するでしょうか?下山は、技術系の高官でした。GHQは、国鉄の首切りを断行するにあたり、政治的な紐の付いていない人材として、下山の就任を許可したようです。下山も、大量罷免は覚悟のうえでの就任でした。ところが、下山は、GHQが要求する労組幹部や左翼をねらった罷免リストに難色を示し、業務の継続性確保という技術的観点から代案を出していたと言われます。技術系ならではのこだわりと言えます。何でも思い通りになると思っていたGHQ幹部にとって、下山は目障りな存在になりつつあったのでしょう。下山事件はじめ国鉄三大ミステリ-は、占領された国で何が起こるのか。ということを象徴しています。二度と占領などされてはいけない、と思ってしまいます。(写真出典:ja.wikipedia.org)

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