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北斎「千絵の海五島鯨突」 |
鯨肉を食べる文化は、世界中に、昔からあったようです。日本でも同じですが、貯蔵の限界もあり、海辺の食文化にとどまっていたようです。戦後の食糧難の時代を迎えると、鯨肉は、肉の代用品として急速に普及します。代用品ですから、さほど美味しいものでもありませんでした。戦後の苦労話のなかで、あの店はとんかつと称して鯨かつを出していた、という話を聞いたことがあります。まがい物扱いだったわけです。鯨の大和煮の缶詰、鯨のベーコンなどもよく見かけた品です。いまや高級品ですが、当時は、安物だったのでしょう。家で食べることはありませんでしたが、学校の給食には、竜田揚げなどが出ていました。鯨の皮下脂肪であるコロを使った鍋物は美味しかったように記憶しますが、鯨である必要はなかったようにも思います。
ある意味、戦後の日本人の栄養補給を担っていたとも言える鯨ですが、1960年代に入ると資源保護の観点から、国際捕鯨委員会(IWC)は、種別の捕鯨禁止を打ち出し始めます。また、商業捕鯨から撤退する国も増えていきます。IWCは、鯨資源を守りつつ、捕鯨産業の秩序ある発展を目指して設立されました。ところが、ここに動物愛護の思想が入り込んできます。IWCの議論の根拠となるべき科学的データも、恣意的に使われる傾向が出始めます。反捕鯨国と擁護国の数は拮抗しますが、やや反捕鯨国が有利に展開します。日本が票を買っているとの批判も出ました。いずれにしても、議論がかみ合わない以上、一旦、捕鯨を保留すべきというモラトリアムが、1982年に宣言されます。日本、ノルウェー、旧ソ連などは異議を唱えます。ノルウェーは、独自の管理捕鯨を継続しています。日本には、調査捕鯨という道だけが残されました。
その後も議論は、平行線をたどります。というよりも、科学的な議論は成立せず、もはや宗教戦争の様相を呈していきます。この間、動物愛護団体は勢いを増し、グリーン・ピース等、過激な実力行使に出る団体も現れます。ついに、2018年、日本は、IWCを脱退します。自然保護と秩序ある捕鯨産業の両立を確保しようとする日本の主張は、ある意味、正論だとは思いますが、思想を異にする世界各国からは、大いに批判されています。東京オリンピックをボイコットしようという運動まで起こりました。ヴィーガンならまだしも、ビーフ・ステーキを食べながら、動物愛護を訴える人たちの主張は、どうもピンときません。鯨は知能があり、子育てをする動物だから愛護すべきであり、食べるために育成する肉牛は別、というわけです。固有の食文化まで否定する曖昧な線引きは、疑問と言わざるを得ません。
日本は、仏教の影響から、永らく、生き物を食べることが禁忌とされていました。しかし、仏教の本旨は、悟りをひらくことであり、生活戒律ではありません。不殺生を訴えますが、本来、肉食を完全否定しているものでもありません。しかも僧侶の肉食は禁じても、一般信者に関しては、努力目標であったとも聞きます。日本では、それが極端な形で定着していったと言えます。とは言え、必要最小限の魚食は許容され、一部、肉食も継続され。鳥類は別枠とされていました。鯨は、大きな魚という理解で許されていたのでしょう。ちなみに、江戸期、イノシシは”山鯨”と呼ばれ、うさぎは、あえて1羽、2羽と数え、鳥類に擬しています。いずれにしても、地球の多様性を確保するための生物保護であれば、大いに理解できます。動物愛護を否定するものではありませんが、こと食料に関する議論は、どうも腑に落ちないものがあります。(写真出典:amazon.co.jp)