2021年9月24日金曜日

カン・リンポチェ

カン・リンポチェは、チベット高原西部にそびえる標高6,656mの独立峰です。チベット語で”尊い雪の山”を意味します。サンスクリット語では、水晶という言葉から転じたとされるカイラーサ。西洋では、それを英語読みしたマウント・カイラスと呼ばれます。チベット仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の聖地であり、登頂が禁止されてる未踏峰です。チベット仏教においては、コルラと呼ばれる巡礼が、祈りのかたちとして重視されますが、カン・リンポチェは最上級の巡礼地とされます。巡礼者は、山の周囲に巡らされた巡礼路を右回りに13周します。巡礼路で最も標高が高い地点は5,630mであり、極めて厳しい巡礼路と言えます。

カン・リンポチェへの正しい巡礼は、五体投地によって行われます。五体とは、両手、両膝、額のことです。つまり、立って祈り、体を地面に投げ出して祈り、また立って祈り、少しづづ進むわけです。カン・リンポチェの周囲を巡る際だけでなく、自宅を出た時から五体投地は始まります。自宅の所在地にもよりますが、数ヶ月から1年かかる巡礼です。物見遊山的な要素もある”一生に一度はお伊勢参り”とは大違いです。伊勢神宮では、20年に一度の式年遷宮の翌年が”御陰年”とされ、最も御利益が大きいとされます。カン・リンポチェでは、午年のコルラが1回で12回分の功徳が得られるとして、多くの巡礼者を集めるそうです。

キリスト教的な巡礼は、神との対話、あるいは自らとの対話の時間のように思えます。一方、仏教的な巡礼とは、歩く禅のようでもあり、ひたすら歩くことで、無我の境地に至らんとするものだと理解しています。ただ、カン・リンポチェでの五体投地を見ると、まるで異なり、仏への完全帰依を表そうとしているように見えます。釈迦の入滅から千年近くを経て隆盛するチベット仏教は密教的であり、原理主義的な禅とは大いに異なるわけです。素人考えですが、同じ密教ながら、四国八十八カ所巡りとも、随分、思想的な違いがあるように思えます。須弥山に見立てられるというカン・リンポチェへの崇拝のあり方自体、東アジアの大乗仏教とは、随分違う印象を持ちます。

世界で最も高い未踏峰といわれるのは、ブータンのガンカー・プンスム(7,570m)です。世界の未踏峰の多くは、宗教上の理由で登頂禁止とされています。ガンカー・プンスムも、カン・リンポチェ同様、ブータン政府が聖地として登頂を禁止しています。ただ、カン・リンポチェには、過去に唯一登頂したとされる人物がいます。チベット仏教カギュ派の開祖ミラレパです。釈迦の悟りの境地に、最も近づいた偉大な修行者として知られます。ミラレパは、若くして呪術を修め、復讐のために35人を呪い殺します。それを反省したミラレパは密教の門をたたき、山中に入って尋常ならざる修行を重ねます。悟りに近づいたミラレパは、数々の奇跡を起こし、カン・リンポチェの頂にもひとっ飛びで到達したと言われます。ということは、少なくとも、徒歩でカン・リンポチェを極めた者は、まだいないということになります。

仏教は、仏像を礼拝する宗教です。ただ、原始仏教には仏像は存在せず、釈迦の入滅後、ストゥーバ(仏塔)等が作られるのみでした。紀元前1~2世紀頃に至り、ヘレニズム文明の影響下にあったガンダーラで、はじめて仏像が作られます。チベット仏教も、同様に仏像を礼拝します。加えて、チベットでは、カン・リンポチェが釈迦如来に見立てられ、周囲の山々が菩薩に見立てられたようです。中国でも日本でも、そのような信仰は聞いたことがありません。恐らく仏教以前からあったチベットの土着信仰の影響なのでしょう。日本の大仏は、盧舎那仏ですが、カン・リンポチェは、チベットにおける大仏といったところなのでしょう。(写真出典:ja.wikipedia.org)

マクア渓谷