2021年9月18日土曜日

エクソシスム

これまで観た映画のなかで、最も怖いと思ったのは、ウィリアム・フリードキン監督の1973年作品「エクソシスト」です。ホラー映画を多く観ているわけではありませんが、間違いなくレベル違いの怖さであり、歴史を変えた映画だと思います。エクソシスト以前のホラー映画と言えば、怖いぞ、怖いぞ、ほ~ら怖い、といった子供だまし的なものがほとんどであり、B級映画の典型でした。エクソシストは、ホラー映画というよりは、オカルトを題材に取り、かなりしっかりと作りこまれたA級映画でした。アメリカでは、その年の興行成績第1位となり、アカデミー脚本賞と音響賞を獲得しています。ちなみに、エクソシストは、ノストラダムスの大予言とともに、日本の第一次オカルト・ブームの起爆剤となりました。

エクソシスムは、ギリシア語の”厳かに勧告すること”が語源であり、いわゆる悪魔払いのことです。悪霊を払うことは、世界各地のシャーマンの主な役割の一つですから、随分、古くから行われてきたと言えます。キリスト教に関して言えば、旧約聖書にも新約聖書にも登場します。広い意味では、洗礼もエクソシスムと言えますが、正式なエクソシスムは、教皇庁が任命したエクソシストによって、厳密な規則に則って行われます。あくまでも浅薄な素人の考えですが、神がすべてを創ったという世界には、神の御業とも思え得ないことも起こります。その一部は、悪魔の所業とされます。いわば矛盾は、すべて悪魔や魔女に負わせる傾向があるようにも思えます。

では、全能の神と悪魔は対等なのか、という疑問が生じます。当然ながら、キリスト教的には、悪魔も神の僕と整理されます。人間に試練を与えるために存在するというわけです。だとすれば、悪魔を退散させてください、と神に祈るだけで十分であり、わざわざエクソシスムとして、神の力を借りた司祭が悪魔と直接対決する必要はないように思えます。屁理屈はさておき、いかにも中世的なエクソシスムですが、現在も堂々と行われていますし、しばしば事件になることもあるようです。歴史上、最も有名なエクソシスムは、1634年、フランス西部のルーダンで起こった修道女の集団憑依事件だと言われます。エクソシスムが行われ、司祭のウルバン・グランディエが、悪魔と契約を交わし、修道女たちに憑依させていたことが判明し、火あぶりの刑に処されます。

しかし、この事件は、色男だったグランディエ司祭に振られた修道院長の仕返しとも、カソリックとプロテスタントの宗教対立の産物とも言われます。ルイ13世の宰相であるカソリックのリシュリュー枢機卿は、プロテスタントのユグノーが大層を占めるルーダンの城壁解体を進めようとします。当然、ユグノーたちは激しく抵抗していました。ブルボン朝を隆盛させたリシュリュー卿は、マキャベリストとしても知られます。ルーダンの憑依事件は、ユグノーの中心的人物であったグランディエ司祭を貶めるために、リシュリュー卿が描いた陰謀だったというわけです。ありそうな話です。人知を超えた現象や事件が起こることはあり得ます。ただ、悪魔払いや魔女狩りは、しばしば政治的に利用されてきた面も否定できません。

ルーダンの憑依事件は、文献が多く残り、広く研究されているようです。また小説や映画の題材にもなっています。オルダス・ハックスリーの小説「ルーダンの悪魔」、それを原作とするケン・ラッセル監督の「肉体の悪魔」は政治的な描き方をし、ポーランドのイェジー・カワレロウィッチ監督による「尼僧ヨアンナ」は、事件の後日談を描いています。「エクソシスト」もこの事件に細部の着想を得ていると言われます。ちなみに、スタンリー・キューブリックがエクソシストの監督を熱望していたことは有名な話です。ただ、プロダクション側は、予算と時間の大幅超過を懸念して、フリードキンを選びます。エクソシストの大ヒットに気を大きくしたプロダクション側は、続編の監督をキューブリックに依頼します。キューブリックは、これを断り、傑作「シャイニング」を撮りました。(写真出典:amazon.co.jp)

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